<参考28>  干潟のヘドロ化・硫化物汚染


ヌカルミに足を滑らせると、真っ黒なヘドロが露出することがある。嫌気性環境に硫酸還元菌が繁殖すると硫酸が還元され、生成した硫化水素が鉄と結合して硫化鉄を生じる。新鮮な水の流れがあればこうはならないが、有機酸で汚染された水がよどんで嫌気化すると、下の泥に硫化物汚染が進行することがある。
かつて東京にもあちこちにドブ川があり、流れがほとんどなく水がよどんでいるようなドブでは、底にたまった泥がヘドロ化し黒くなっている場合が多かった。(ただし汚水が停滞するような環境では、含硫黄蛋白質の腐敗によって硫化水素を生じているケースもある。)

硫酸還元菌(デサルフォビブリオなど)は乳酸、リンゴ酸、ピルビン酸などの有機酸を酸化してエネルギーを得る従属栄養細菌で、最終電子を遊離酸素でなく、硫酸イオンに受容させる嫌気性呼吸細菌である。(クロストリジウムなどの腐敗菌も嫌気性だが、生育エネルギーの獲得は醗酵により、呼吸菌のように環境を還元する作用は無い。蛋白質が腐敗して硫化水素を生じるのは、醗酵法が呼吸法ほど酸化力が強くないため、蛋白質が不完全に酸化される結果である。)
硫酸還元菌が繁殖すると、環境にある硫酸イオンは還元され、硫化水素イオンが生成される。硫化水素イオンは活性が強く、遊離酸素と接触すれば酸化されて硫酸イオンに戻るが、一部は泥の中で鉄イオンと反応して硫化鉄になる。黒化したヘドロは硫化鉄の存在を示すものである。
何らかの条件で局所的に硫化水素が発生すると、辺りの酸素が消費され環境は一層嫌気化する。硫化水素は酸素呼吸を行う生物に対し遍(あまね)く強い毒性を持っている。従って万一硫化水素が蔓延すると、周辺の好気的呼吸生物を死滅させてしまう恐れがある。(下記[注(1)]参照)

数年前ヨーロッパを中心に地下水の硝酸汚染が問題になった。農業と環境の問題は国際的な政治問題でもあり、OECDからは「日本のような集約農業は環境を悪化させるばかりであるから、日本は農業を止め農産物は外国から輸入せよ」という極端な主張がなされたそうである。これに対して「日本の農業は水田の米作りにあり、水田地帯では直下で嫌気化し易いため十分脱窒され、硝酸イオンの地下水への透過は起きていない」と反論していたことがある。しかし日本にも白田(畑)や牧場がないわけではないので、この主張は撤回せざるを得なくなり、以後日本でも硝酸イオンを監視し規制するようになったが、水中には空気中の3%程度の酸素しかなく、水田下が嫌気化しやすいことは事実である。
水田耕作で窒素源肥料として硫安(硫酸アンモニウム)が使用されると、土の中は硫酸還元菌が増殖する条件が整いやすくなる。ただ通常少量の硫酸還元菌が働いても、生成した硫化水素は地中の2価鉄と反応し、水に不溶な硫化鉄を生成するので問題にはならない。例外的に栄養源となる有機酸が多く存在したり、老朽田などで作土層の鉄分が溶脱していたりして、硫化水素が硫化鉄の形で捕捉し尽くされないような状況になると、遊離した硫化水素がイネの根の呼吸を阻害し、「秋落ち」と呼ばれる収穫不良を引き起こす。
「秋落ち」の恐れがある水田では、夏場に1〜2度水田の水を抜き、土の表面がひび割れる程度まで乾かす「土用干し」と呼ばれる対策を施す。これは土壌の通気を図って酸欠を防止し、硫酸還元菌の繁殖を抑制する目的で行われる。
(なお硫化水素は水中で2重に解離する。中性近傍では硫化水素イオンを生じ、アルカリサイドでは硫黄イオンになる。酸性サイドで硫化水素が遊離する傾向が高まるが、解離は平衡を保つので、硫化水素イオンが硫化鉄として沈殿していけば、硫化水素の解離が進み全て硫化鉄(或いは硫化マンガン)として固定されることになる。)

火山性の酸性湖では硫酸や塩酸の湧出があり、湖水が高濃度の硫酸イオンを含んでいる場合がある。湖底近くでは嫌気性条件となるので、底泥表層では硫酸還元菌が働き、硫化水素が生成している。このような湖で、季節による水温変動など何らかの要因によって湖水に循環が起こり、湖底側の溶解成分が巻き上げられて好気層にまで上がってくると、湖沼の生物は甚大な被害を被るおそれがある。
しかしこうした湖沼では、水深中程の「酸化還元境界層」のあたりに、硫化水素を酸化して光合成を行う光合成細菌がマット状に繁殖し、湖沼全体が硫化水素で汚染されるという事態を防止している。光合成細菌は「硫黄細菌」と呼ばれるもので、下層側には弱い光でも光合成できる無機酸化独立栄養性の嫌気性「緑色硫黄細菌」、上層側には比較的強い光でも活動できる同じく独立栄養性の微好気性「紅色硫黄細菌」の2系統があり、いずれも湖底で還元生成された硫化水素を酸化する。更に「酸化還元境界層」の上には硫化水素を硝酸イオンで酸化する硫黄脱窒菌が居たり、好気圏には酸素呼吸する硫黄酸化菌がいるなどして、「酸化還元境界層」を突破してきた硫化水素や、途中で不完全酸化されて生じた硫化物イオン(亜硫酸イオン、チオ硫酸イオンなど)はすべて酸化され、無害化される仕組みになっている。

さて近年では環境監視は厳しくなり、鉱山の排水や工業廃水が流入するとは考えられない都市河川で、どうして硫酸イオンが存在するのかと思われるかもしれないが、硫酸イオンは実は海水には高濃度に存在するのである。海水の塩分濃度は概ね3.5%で、(精製塩には含まれないが)、海水は重量比率で塩素イオンの14%(1リットルに2.66グラム)の硫酸イオンを含んでいる。(太古の海底にできた堆積物層に黄鉄鉱が存在するのは、海底で硫酸還元菌によって生成された硫化鉄が、長年月のうちに変性して(硫黄が付加されて)できたものと考えられている。)
六郷川では干潮時にも多摩川大橋の近くまで海水が上り、満潮時には丸子橋まで海水が達する。六郷橋の界隈は潮の干満に応じて海水が出入りする汽水域になっている。(かん水は重いので川底側から浸入し表層では塩分濃度は薄い。)

NHKのクローズアップ現代で、赤潮のため有明海で2枚貝が激減している危機を特集したことがある。(2003.11.4) その中で干潟の一部に硫化鉄汚染が進行している事実を報じていた。
海水に硫酸イオンが含まれているからといって、干潟がすべて硫酸還元菌で汚染されてしまうわけではない。貝類などの生物がいなくなることで干潟の通気性・通水性が損なわれ、内部が嫌気化しやすくなるという条件はできるが、硫酸還元菌もその栄養源(有機酸)が無ければ増殖し続けることはできない。
番組では長崎大学や佐賀大学の研究を紹介する形で、海苔養殖に使用されている有機酸が、大量に海洋投棄されている事実を取り上げていた。(この番組ではないが、魚の養殖で消毒用に投入されるホルマリンのことが問題にされたことがある。有明海に関しては可動堰の悪影響が取上げられることが多いが、海苔養殖業者が有機酸を大量に投棄していることはそれほど問題にされない。)
有明海に限らず海苔の養殖ではクエン酸やリンゴ酸などの有機酸が使用される。(育苗網に混成するアオノリの排除、苗に寄生する微生物や雑菌・藻類の駆除などを目的にするという。) 酸処理剤を海水で100倍程度に希釈(PH2程度?)したものを用い、この処理液に海苔網を5分間程度浸漬するが、この作業は海上で連続的に行われ、浸漬後の濯ぎが行われないばかりでなく、処理が済んだ残薬液をそのまま海中に投棄してしまうということがあるらしい。(使用される酸処理剤は有明海だけで年2千トンを超えると言われる。)
海苔養殖に使用される有機酸は、水産庁の通達では、食品添加物として認められたものに限るということになっており、その限りではホルマリン汚染とはやゝ意味が異なる。(ただし使用量が多いだけに、無機酸を使った海賊品が出回っているとのウワサは否定しきれず、特にリン酸の併用は半ば公然化しているという話もある。) だがたとえ天然の有機酸に限るという通達が遵守されたとしても、その大量投棄によって人為的な富栄養化が図られ、硫化物汚染などの環境破壊を助長する恐れがあることは間違いない。

六郷緑地先の湿地の硫化物汚染がどの程度のものかは推測できない。(六郷川にどの程度の有機酸が含まれているのか知らないし、硫酸還元菌のえさが豊富にあるといえる環境なのかどうかは分からない。) 底質の改善は流水の改善より時間を要し、蓄積した硫化鉄は古い時代に生成した名残かもしれない。私が踏み込んだ所が偶々僅かなそういう場所だったという可能性も無いわけではない。
ただ六郷橋の下あたりは古くからゴミや汚物の捨て場になっているところがあり、緑地と湿地の境界沿いにホームレスの入植も多い。近時六郷川の両岸では(多摩川大橋下手右岸の小向厩舎練習馬場の外縁に代表されるように)、入植したホームレスに開墾され高水敷が野菜畑に変貌しているところが少なくない。未処理の排泄物や肥料、生活廃水などの垂れ流しが、有機汚染の一因になり、現在進行形という疑念もあるのではないだろうか。


手付かずの自然が残されている地域では、開発を戒め自然をありのままに残すことが環境保護に直結する。都市河川の場合はどうだろうか。現在の六郷川には大正時代に始まった直轄改修工事以前の痕跡はおそらく残ってはいない。ましてや近世以前の川の面影はその片鱗も窺うことはできない。いまや完璧に排水路として整備された六郷川には、もはや環境保護の観点で護るべき「古い自然」は存在しないと極言しても過言ではないのではないか。
それでも住民は川に愛着をもち郷愁を懐く。人が川に憩いの場や安らぎの場を求めるのは、必ずしもそこに古い自然を見出すからではなく、おそらく水に対して本源的な感性に基づく想いがあるのだろう。そのような観点で、もっとも大切な場所は親水地帯であり、ここが荒れたまま放置されていては、住民の川に寄せる想いは叶えられない。
手付かずの古い自然というような自然環境がすでに無いという現実と向き合った場合、環境をなおも荒れたままに放置することは怠慢としか言いようがない。環境保護のためには積極的に手をいれ、護るべき自然を作り出す努力をしなくてはならない。
近年都市の各地で親水公園を作る活動が活発化してきている。六郷川では早くから河川敷の有効利用が図られ、運動場などの整備に実績をあげてきた。しかし広場の整備に注意が向く反面、川としての特異性を生かした活用は見当たらず、親水部の整備が等閑にされてきたという感じは否めない。練習馬場外縁や六郷橋下のヨシ原などが手入れされずに放置されてきたことがそのことを如実に物語っている。
この一帯に絶滅危惧種である「ヒヌマイトトンボ」や「ウラギク」、地域として絶滅のおそれがあるとされる「トビハゼ」などの生物種が生息している事実とどう向合うのかという難問はあるが、六郷橋下手の葦原は昔から存続してきた手付かずの自然地帯というわけではない。当地は昭和前期の人為的な掘削の跡地に、昭和の後期になって土砂が堆積して形成された(現在進行形の)新しい環境で、上記の生物もその以後他所から移ってきたことを冷静に考えるべきだろう。
この一画も現状では排水路と化した都市河川の一部であることに変わりは無く、とりわけ近年は沿岸部へのホームレスの入植が激化し、荒廃に拍車が掛かっている。このような条件下で現状のままを放置し、「自然」に手を染めないということが稀少生物の保護に繋がるものではなく、むしろ絶滅危惧種の絶滅を座して見守るという結果になることは想像に難くない。
当地で干潟の生物の存続を図ろうと考えるのであれば、まずゴミや汚物を排除し、新鮮な水が行渡るように水路を刻んだり、必要とあれば干潟を改質するなどのことが先行するのではないだろうか。堤防で仕切られた都市河川の中に、好ましい自然環境を持続させるということは尋常なことではなく、不断に手を掛け続けなければ両立しない性質のものであることを先ずもって理解する必要がある。

多摩川の管理方針の中に、「多摩川らしさを守っていく」というくだりがあり、「らしさの中身については定義しない」としている。私個人の「六郷川らしさ」の中では「はぜ」の存在を欠くことはできない。私が子供の頃(昭和30年代)、六郷橋下の右岸にはボート小屋が2軒あり、休日には多くの釣り人で賑わった。はぜは100匹単位で釣れたし、外道としてカレイが釣れることも珍しくはなかった。近時、この川の水質改善は目覚しく、中流域にアユが増えマルタも甦ってきているときく。六郷川でも岸辺に釣り糸を垂れる人が増えてきたが、何故かマハゼは以前のようには釣れていない。
東京湾は湾岸の浅瀬を悉く埋め立ててしまったので、河川も汽水域については、以前のような環境を取戻すことは困難かもしれない。だが東京湾の将来についても少しずつ語られるようになってきた。一旦壊してしまった環境を少しでも回復させようと思えば、途方も無い人為的な努力が必要になるものである。
川に強固な堤防を築くことは、それだけで流域の概念を変え、自然を改変することを意味する。川は既に都市に都合が良いように変えられているのであり、河口近辺のヨシ原に手を染めないということが、それで環境を護っていると錯覚してはならない。確かにそのことが護岸をコンクリートで固めてしまうという最悪の事態を回避する役割を果たしてきたことは有意義だった。だが環境の大切さを多くの人が意識するようになった現在では、茫々としたヨシ原を劣悪な状態のまま放置していることは、もはや環境保護とは言うにはあまりにも後れた発想であると言わざるをえない。
川に安らぎを求める市民・住民にとってもっとも大切な場所は、川に直接触れることのできる親水箇所(岸辺の散策路から水辺までの沿岸部分)である。今この肝心な部分をホームレスが占拠してしまっているケースが少なくないが、親水部分にホームレスが入り込んでいるのは、そこがどうでもいい部分として放置されてきたことの裏返しでもある。
かつて河川敷からゴルフ場を追い出し、河川敷を広く市民に開放させようという国民的な運動が沸き起こった時期があった。これからは川岸を心安らぐ貴重な場所と位置づけ、川岸をゴミ溜まりから魅力ある場所に作り変え、広く住民に開放させようという運動が起きることを切望したい。


[注(1)]

硫化水素(沸点-61.8度C)は一般に火山の噴気に含まれるが、イオウ泉においては水に溶けて湧出してくる。温泉場で感じられる独特の腐卵臭がよく知られているが、純粋の硫化水素は無色無臭とも言われる。強い毒性をもち、高濃度のガスを多量に吸入すると即死する。許容濃度はシアン化水素と同じ10ppmである。
(酸素呼吸生物は、摂取した食物(カロリー源)から水素を刈取り、その低電位の電子を遊離酸素にまで流す過程で、放出されるエネルギーを生体エネルギー(ATP)に換えて生育している。この電子伝達鎖の末端酵素は、利用済みの電子を最終的にプロトンと合体の上酸素に受容させ水を生成する機能を有する蛋白質で、「シトクロムC酸化酵素」或いは「シトクロムaa3複合体」などと呼ばれる。硫化水素の毒性はシアン化水素(青酸)と似ていて、この末端酸化酵素に結合し酸素呼吸を阻害するものといわれる。)
発火温度は260度Cと低く、空気中で燃えやすい。燃えると亜硫酸ガスを生じる。亜硫酸ガスも強い刺激臭を持つが、硫化水素のような毒性はなく、万一硫化水素が噴出した場合、緊急対策として燃焼させることが有効である。(ただし硫化水素の爆発範囲は、空気中1気圧下で 4.3〜45.5 [vol%] と広いので注意を要する。)

2003.12.23 中国西南部の重慶市郊外開県のガス田で大規模なガス噴出事故が起きている。天然ガス井戸を掘削中に硫化水素のガス層に当たったらしく、有毒ガスが30メートルも吹き上げ、住民約3000人が中毒症状を訴え200人ほどが死亡した。中国では西部で産出する天然ガスをパイプラインで上海など東部に運ぶ、政府の重点プロジェクト「西気東輸」が推進されており、当地は中国有数の大会社である中国石油天然ガス集団が所有するガス田で、万全な安全対策が採られていたはずであった。大惨事に至った経緯は詳らかではないが、地層に硫化水素のガス層があることは稀なケースとされている。(東京新聞)

日本の事故としては、2005.12.29に起きた秋田温泉事故が記憶に新しい。秋田県湯沢市の泥湯温泉の雪のくぼ地で、親子4人が死亡(1人は重体で発見されたが翌日死亡)した事故。翌日湯沢署がくぼ地の中の硫化水素を計測した結果、118-135ppm の高い濃度を検出し、遺体の司法解剖の結果、死因は急性硫化物中毒と判明したことから、くぼ地に高濃度の硫化水素が溜まっていたことが事故原因とみなされた。
このくぼ地は、4人が宿泊していた温泉旅館の近くにある駐車場から10メートル余り離れた山裾にあり、大きさは約 2.3M×1.0M 深さは約 85CM 程度のものだった。子供は事故直前に駐車場で円盤遊具を投げ合って遊んでおり、遊具がこのくぼ地に飛び、取りに行ってくぼ地にはまった可能性がある。父親は子どもを助け上げた直後に倒れた。市によると、これまで現場周辺で硫化水素ガスによる被害や苦情はなく、ガスが溜まる場所だとの認識は無かったため、立入り規制はしていなかったという。 (日経新聞)
2015.3.18 にも同じ秋田県の乳頭温泉郷の源泉付近で、湯量や温度を調整するなどのため配管の作業中だった作業員2名が、雪に掘った窪地状の中で倒れ、救出に入った仙北市の職員も倒れ、合わせて3名が溜まっていた硫化水素を吸い込んで中毒死した。10年前の事故のあと、地元の自治体は、定期的にガスの濃度を測定するなど対策を取っていたというが、同じような事故の再発が防止できなかった。 (NHK)
これらの死亡事故は、温泉場などで火山性ガスに基因すると思われる硫化水素の危険が身近に存在し、特に空気より重いため窪地のような場所に溜まりやすいこと、更に強い毒性を持つ硫化水素が現実には無色無臭で、その危険性が感覚では察知されにくいものであることを警告している。


以下蛇足。
近年ヘドロの主成分である硫化鉄を体の一部に持つ生物が発見され、科学誌などでも取上げられて話題になっている。
その生物は深海の熱水噴出孔周囲に棲む巻貝の一種で、英名をArmored gastropod(鎧を身に着けた巻貝)、和名を「ウロコフネタマガイ」といい、通称スケーリーフット(Scaly-foot:鱗のある足)と呼ばれている。
2001年にインド洋の深海で発見、学術発表されていたが、2006年2月に海洋研究開発機構(JAMSTEC)の有人潜水調査船「しんかい6500」が、インド洋の水深2,422mのブラックスモーカー周辺域で採集に成功し、2007年にNHKのサイエンスゼロでもその様子が放送紹介された。(2メートル角程度の小さいチムニーの周囲にしかいなかったという。)
この貝は大きさが4センチメートル程度の巻貝(腹足類動物)だが、貝殻の下に出た足の部分が黒い鱗で被われている。この鱗の外表面は硫化鉄で出来ていて(黄鉄鉱に似た構造で磁石に反応する)、硬さは歯の2倍位あり、この鎧に守られ、この貝は殻の中に足をすぼめることはないのだという。
高等生物の生命活動には鉄が必要で、例えば酸素を運ぶ赤血球のヘモグロビンは中心原子は鉄になっているし、各細胞中にあるミトコンドリア(エネルギー産生系)で、水素の電子エネルギーを生体エネルギー(ATP)に転換する電子伝達鎖の要素の中にも、フェレドキシンと呼ばれる、水溶性の非ヘム鉄蛋白質が重要な役割を果たしている。(鉄が蛋白質のシスティン残基上の4つの硫黄原子及び遊離硫黄原子に結合し、Fe/S のクラスターを形成して存在する。)
ただ太陽光をエネルギー源とする生態系では、骨格や殻などの硬質部分は、キチン質(ムコ多糖類)や炭酸カルシウム、燐酸カルシウムなどで出来ていて、これまで硫化鉄を身にまとう生物は知られていなかった。深海の熱水噴出孔周辺生物は、地球内部から噴出する硫化水素などをエネルギー源とする独自の生態系で、そこに太陽光エネルギー生物圏には見られなかった、驚異的な進化形が認められたことに注目が集っている。
(スケーリーフットは新江ノ島水族館で標本展示が行われている。右写真は同館HPより転載した。)

 

   [参考集・目次]