<参考27>  羽田空港の再拡張計画について


東京国際空港には毎日700便余の航空機が離着陸し、平成12年(2000)の旅客利用は約5,600万人(一日当たり約15万人)といわれるが、それでも将来の需要動向(2012年には7300万人に上ると予想されている)を勘案すると、空港の離発着能力は不足すると考えられるに至っている。(2004年現在の1日の発着回数は782回)
そこで首都圏第3空港の必要性が唱えられ、平成12年9月学識経験者や関係地方公共団体等からなる「首都圏第3空港調査検討会」(運輸省・航空局)が設置された。「調査検討会」は各研究会・懇話会・富津市・川崎商工会議所等より提案のあった10余の地区から、木更津沖、千葉県九十九里沖、富津岬 南、富津岬 北、横須賀金田湾、中ノ瀬、東京湾奥、川崎臨海部沖、の8ヵ所を候補地として選定し検討を行ったが結論を得ず、取りあえず暫定的に羽田空港を再拡張するのが優れているとの結論に落ち着いた。(平成14年(2002)1月30日 第7回 )
「調査検討会」の「羽田再拡張案」は、現空港敷地の東南側の沖に、B滑走路と平行する向きの新滑走路(2500M)を建設する、というものである。この案では、新たな滑走路の敷地は現空港敷地と密着させず、連絡誘導路で繋いだ島として間に海を入れるが、この空港島の南側は多摩川左岸の延長線から1000Mはみ出し、河口延長水路の半分以上に及ぶ位置となっている。新滑走路がこの位置まで下がったのは、中央防波堤と城南島の間を通って大井埠頭に出入りする、東京港第一航路を航行する大型コンテナ船などの航行の安全に配慮したためである。
この間、定期航空協会は、当初C滑走路平行案を提案していたが、最終的には南風悪天候時における容量不足の問題がないB滑走路平行案に賛成している。(騒音対策上、東京市街地の上空を平時の飛行コースとして設定することは出来ないという認識がある。現行では北風時の、朝7,8時台において、5便以下で低騒音機に限定してA滑走路を北向き左旋回で離陸するケース(ハミングバード)があるだけである。) 又飛行場が航路を圧迫すれば、将来東京港に大型船が入港しないという事態になりかねない、と憂慮を表明していた日本船主協会も、船舶の安全に十分配慮して検討されれば、B滑走路平行案で異存ないということになった。



平成13年12月19日、「羽田空港の再拡張に関する基本的考え方」と題する文書により、「新たな滑走路は現B滑走路と平行に設ける」ことを国土交通省として決定したことが公表された。同文書では新滑走路建設に伴い、東京港第一航路の位置を変更する必要に言及し又、新たな滑走路の敷地が多摩川の延長線に大きくはみ出す点については、「多摩川の河川管理上支障を生じさせないように措置すること」が併記された。
東京港第一航路は東側半分(羽田沖の部分)を北側に屈曲させるように変更するが、航路の屈曲角は15度程度までと極力小さくするように求められている。
多摩川への影響の検討は、主に平成13年7月31日の第6回調査検討会で報告されている。結論として「空港島本体の一部または全部を桟橋等の透過性構造とすること、現空港との間に水量を確保すること、等により多摩川への影響を軽微に出来る可能性が高い」という検討結果を報告している。ただしこの時点の検討試案では、第4滑走路を載せる空港島が多摩川河口の延長水路にはみ出す量(現案1000メートル)が現案より少ない(新滑走路を最も多摩川側に寄せた[試案4]、現空港との間に水を明けた[試案5]とも現案より300メートル少ない)ことには注意しておく必要がある。(その後最終となる第7回に、「第一航路問題検討プロジェクト」が、航路の屈曲角をパラメーターにした操船シミュレートを報告した際、空港島を[試案5]から更に300メートル多摩川側に移動した[試案6]が使われ、結局この位置が最終案になった。)

国交省の再拡張案では、この第四の滑走路(D滑走路)は2003年度中に着工して2009年度の供用開始を目指す。再拡張により羽田空港の年間発着回数は段階的に増加が図られ、2012年には40万7千回に拡充されることになっている。(2001年度実績27万5千回の約48%増し) 1日当りの発着回数は1100回に増え、国内線では飛行機を小型化し増便することが可能になる。またこの滑走路の完成に合わせて、羽田空港に再度国際定期便を就航させ、増やされる発着回数13万回のうち、3万回を近距離の国際定期便に充てることも予定されている。(国内線の空港として羽田から最も遠い石垣空港までの距離を目安とし、それより近いソウルや上海などが候補に上がっている。国際線旅客数は推定700万人)
上図は国土交通省の再拡張案を示したものである。新滑走路は現B滑走路と平行で長さが2500m×60m、現C滑走路の東南端から新滑走路中心までの距離は1750mで(連絡誘導路の長さ約1000m)、現空港敷地となっている河口延長水路左岸の法線から空港島(新滑走路の敷地)が多摩川にはみ出す長さは、新滑走路の中心位置で1000mとされている。
(その後浦安の陸域上空を飛行コースから外すため、D滑走路は7.5度海側に回転させられた。記載している数値はこの変更以前のものである。回転変更により空港島が左岸法線からはみ出す量は950mとなり、連絡誘導路の長さも短く変わっている。) 建設工法は、埋立工法・桟橋工法・浮体工法を候補としたが、いずれの方法を採用するかは平成13年12月に「基本的考え方」を公表した時点では未定のままになった。
(以下この括弧書きは2006年の追記::D滑走路の際立つ特徴に滑走路の高さと傾斜がある。飛行コース直下を航行する大型船舶との関係で、滑走路は第一航路側で路面を高くすることが求められ、船のマスト高さ55.1Mに満潮潮位2.4Mを加算した標高57.5Mを第一航路端で確保することを前提に、航路側での滑走路の標高は17.1Mが必要とされていた。現行計画によれば、羽田空港の標高は6,4Mなので、(島への連絡誘導路に最大1.2%程度の勾配をつけ) D滑走路表面を標高15Mと高くし、滑走路の中心部から北側を傾斜にして、滑走路の端では更に2.1M高くなるようにする。即ち、滑走路の表面は、多摩川側では標高15Mの水平で、第一航路側では0.1度(1/595)に近い傾斜面という浅い「く」の字形の設計になっている。尚マスト高さ50M以上の大型コンテナ船は、2003年の実績では年間300回程度D滑走路脇を通行していた。)


国交省が羽田再拡張を正式決定した後、平成14年3月に「羽田空港再拡張事業工法評価選定会議」が設置され、半年間工法の比較検討が行われたが、工法の絞込み作業は難航し、平成14年(2002)10月の段階でなお工法を決定できない異例な事態になった。(再拡張事業は総事業費8千億円を超えると見込まれ、国際入札の対象になる可能性もある。)
空港島(第四滑走路と連絡誘導路)の工法については、造船(製鉄)業界が推すメガフロート式(超大型の浮体構造物:多摩川側は通水性の高い櫛型ポンツーンを用い、連絡誘導路から北側は箱型ポンツーンとする)、建設業界が推すハイブリッド式(埋立てと桟橋の組合せ:空港島のうち多摩川延長流路にはみ出す部分と連絡誘導路を桟橋とする)、及び(全)桟橋式の三方式につき検討が行われてきたが、いずれも工期が2年半、工費6千億円程度で、致命的な欠陥や技術面での決め手がないことから、「工法評価選定会議」では工法の絞込みを先送りし、国土交通省は工法を限定せずに入札で決める方針を固めた。(2002.10.17 東京新聞) (なお桟橋工法、埋立・桟橋組合せ工法は、港湾施設において実例があるものの我が国の空港としては例がなく(双方とも外国には実例がある)、浮体工法は(横須賀沖に実証試験用に業界が設置したメガフロートがあるが)、世界的に見ても空港としては全く新しい構造形式である。)
平成14年10月23日の第6回工法評価選定会議(最終)の報告は、「桟橋用の金属杭や金属製浮体の防食対策が重要」「桟橋構造はたわみ変形が生じるが外国に実績例がある」「桟橋、埋立とも地震の影響を受ける」「ハイブリッドでは沈下や地震により接合部に段差を生じ易い」「埋立は第一航路移動工事によって生じる浚渫土砂を利用できる利点がある」「浮体工法は地震による影響を受けにくいが、潮汐による周期的な浮体の上下移動及び波浪、潮流、風等の自然条件による動揺がある」「桟橋、浮体とも第一航路浚渫土砂の処分が別途必要」等々のことを列挙した上で、「いずれの工法も、本会議で指摘された留意点を踏まえ、適切な設計を行うことにより建設が可能である」と結論し、関連事項として「設計と施工を一体的に発注すべきこと」や「いずれの工法も多量の金属が長期間にわたり海水中に存置されることから、施工者に維持管理費を保証させるなど適切な責任分担関係を構築すること」が必要であるとしている。
工法評価選定会議は、工法を検討するに先立って、設計の前提となる要件をいくつか提示している。以下はその一部。
・飛行コース下を航行する大型船舶との関係で、滑走路面は高くすること。 (第一航路側でAP+23M:満潮位の海面から20.9メートルの高さ、多摩川側はAP+15M) (2004年6月の国交省の「入札実施方針」では、第一航路側がAP+17.1Mに変更された。滑走路は中央位置から多摩川側がAP+15Mの水平で、第一航路側は 2.1/1250 の勾配になる。)( AP
・連絡誘導路の下は中央部を小型船舶が通航できるようにすること。 (航路幅120メートル) (2004年6月の国交省の「入札実施方針」では、可航部を、50M×2ヵ所(位置は可能な限り島側)に変更している。空港島を7.5度回転したことにより連絡誘導路が相当短くなったためかも知れない。)
・多摩川河口域について、河川の諸元は、計画高水量 7,000m3/S, 計画堤防高 AP +6.500m,計画高潮位 AP +3.800m,河床高 AP -3.706mとする。
・多摩川河口域に係る部分の構造は、河川管理施設等構造令の「橋」に準拠するものとする。即ち、基準径間長 50m以上, 最小径間長 25m以上, 河積阻害率 8%以内 (ちなみに河積阻害率について各工法を推す業界の提案資料を見ると、桟橋工法では1000Mに杭が33本で河積阻害率は5.6%、浮体工法の櫛型ポンツーンでは河積阻害率が4.8%となっている。)


平成14年(2002)11月14日国土交通省から明らかにされた再拡張事業案によれば、総事業費は約9千億円で、内訳は滑走路建設費が5千9百億円、国際ターミナルビルが1千6百億円、航空保安施設などが1千5百億円となっている。主な財源は国が2千億円、地元負担が3千億円のほか、沖合展開事業で不要になった跡地の売却収入1千3百億円を充て、残りは将来の着陸料収入の増加などを見込んで、財政投融資や民間から借り入れるとしている。
羽田空港は国が整備費を全額負担する一種空港だが、同じ一種空港の関西空港や中部空港では地元自治体も事業費を一部負担しており、国交省では東京都及び隣接する神奈川県や千葉県などの地元自治体に事業費の 1/3 にあたる2千7百億円を求めるとしている。これに対し東京都は意思を明確にしていないが、神奈川県は国が全額負担するべきであるとして横浜市、川崎市と連名で要望書を提出し、千葉県の堂本知事も地元負担に反対する考えを表明している。
2009年に予定通り滑走路を供用し国際定期便を就航させるには、2003年度中に国際入札や環境影響評価(アセスメント)など事業をスタートさせる必要があり、東京都の対応が注目されていると報じられた。(2002.11.14 東京新聞夕刊)

平成15年(2003)1月、羽田空港再拡張事業について、国土交通省及び関係地方公共団体の間で、協力体制を構築し、意見交換・調整を行いながら、羽田空港再拡張事業の円滑な推進を図ることを目的とする、「羽田空港再拡張事業に関する協議会」が設置された。(国土交通大臣と地元周辺7都県市で構成) 3月、国交省は「羽田空港再拡張による経済波及効果」の試算を発表した。内容は、直接関連産業の増収6千億円、その他産業への波及効果6千億円、合計1兆2千億円、税収増340億円、雇用創出11万2千人などとなっている。なお経済波及効果の90%、雇用の67%は東京都で占められる。
羽田空港の再国際化によって成田空港が地盤沈下しかねない千葉県(堂本知事)は、2003年6月の「再拡張事業協議会」において、「飛行経路を再検討し騒音問題を首都圏全体で共有するよう」(東京上空も飛行ルートに加えよという意味)主張し、次回ボイコットを仄(ほの)めかすなど強い抵抗姿勢を示した。
こうした状況で国交省は平成15年(2003)8月に、国際線旅客ターミナル、エプロンなどについてはPFIを導入し(2000億円規模)、総事業費を6900億円に圧縮する案を提示した。(PFIは「Private Finance Initiative」の略。社会資本を民間主導型で整備する方式を指し、日本では1999年に「PFI推進法」が制定されている。) 事業費は2100億円を国費、3500億円を財政投融資で賄い、地元自治体には1300億円の負担(国への無利子貸付)を求めるとした。
新たな提案では、発着枠の拡大で騒音が増加する千葉県と、経済波及効果の見込めない千葉市や埼玉県については負担要請が撤回された。2003年12月の報道によれば、地元自治体は無利子貸付に応じ、再拡張事業は着手の運びになるという。(負担割合は、東京都が1000億円、神奈川県と横浜市が各120億円、川崎市が60億円。なおこの時点で千葉県に配慮して行われていた東京上空を飛行ルートとする検討は打ち切られ、神奈川県側についてのアクセスとなる「空港の神奈川口」づくりを検討することが約束されたようである。)

(国際線新ターミナルの建設が予定される国際線地区は、A,B滑走路の各誘導路と多摩川延長水路の左岸で仕切られる三角地の中央から幾分川に寄った辺りと推定される。京急電鉄空港線がこの区域の真下を横断しているが、京急ではPFIとは関係なく独自に整備費用100億円を投じて、新国際線ターミナルの地下に空港新駅(仮)を建設し、ターミナルの供用開始に合わせて開業することを決めている。−(2005.1.6 日経新聞)
(東京モノレールも2005年7月末に、国際線ターミナルビルに近接した位置(天空橋駅と新整備場駅の間)に新駅を作り、国際線利用客の利便性の向上を図ると発表している。)
国際線地区の構想は位置的な関係で、「空港の神奈川口」と密接に絡んだマスタープランになることが想像される。国際線地区が予定される周辺では2004年中に、JAL系の整備場が解体撤去され、羽田東急ホテルが閉館になるなど既に動きが見られている。)

平成16年(2004)5月、国交省は騒音被害の拡大を憂慮していた千葉県に対し、新滑走路位置の変更などを含む新たな修正案を提示し、2月段階で国交省に再考を求めていた千葉県の堂本知事も、この修正案の受入を表明する見込みと報じられた。
修正案では、新滑走路の位置を右回りに7.5度回転した方向に変更し、更にILS(計器着陸装置)の進入経路を2度傾けるとしている。この修正の結果、新滑走路に着陸する際の飛行コースは現行案より9.5度海側にずれることになり、浦安市陸域の上空飛行を回避することが出来るようになる。その他千葉市や茂原市上空の飛行コースについても、高度を千〜2千フィート引上げ騒音の軽減を図ることなどが盛込まれている。



「神奈川口構想に関する協議会」は、「羽田空港神奈川口」の空港機能分担、神奈川方面からの空港アクセスの改善、臨海地区のまちづくり活性化などを検討する目的で設置され、2004年2月に初回が開催された。(2006年2月現在の協議会メンバーは、北川国土交通大臣・松沢神奈川県知事・中田横浜市長・阿部川崎市長である。)
協議会の下に国交省・神奈川側それぞれの部課長クラスを構成員とする、「空港機能・まちづくり等WG」と「空港アクセスWG」(座長:国交省航空局飛行場部管理課長)の2つのワーキンググループ(WG)が置かれ、検討は、「京浜臨海部幹線道路網整備検討会議」、「東海道貨物支線貨客併用化検討会」等と連携し、庶務は、神奈川県、横浜市、川崎市の協力を得て、国土交通省航空局が、関東地方整備局及び関東運輸局と連携しつつ行うとされている。
神奈川県・横浜市・川崎市が合わせて300億円の出資に応じたのは、経済波及効果に期待してのことだが、特に近年空疎化が進みすっかり寂れてしまった臨海工業地帯(京浜運河沿い)の再活性化に向けた期待が大きい。具体的にどのような方途や可能性が想定されているのかは知らないが、横浜市の中田市長は「羽田空港の再拡張は国際化しなければ意味がないとまで思っている」と発言している。とりわけ国際化によって物流面などに大きな変化が起き、そのことが当地を見直す突破口になると期待されているようだ。
2004年5月か6月頃テレビで、「神奈川口」に関する梅澤忠雄教授の構想が紹介されたことがある。そのCGによると、空港敷地と対岸の川崎市殿町の間に架橋が行われ、殿町のいすゞ自動車跡地はコンベンションセンター、ホテル、空港会社のカウンターなどで埋め尽くされていた。
(いすゞ自動車は2003年中に殿町の川崎工場を閉鎖し、藤沢工場や栃木工場に生産業務を移転する予定にしていたが、ディーゼル規制特需や中国向け輸出の増加などで需要が急増し移転計画を一時延期していた。この移転計画の延期期間は終了し、いすゞ自動車川崎工場は2004年5月に閉鎖されたと思われる。敷地の西側(大師橋寄り)は先に都市基盤整備公団(現「UR都市機構」)への譲渡が決まっていたが、2004年3月に東側(多摩運河側18万平方M)が「ヨドバシカメラ」に譲渡されることが決まった。跡地は2005年2月下旬に引き渡され、物流拠点の設置が計画されているという。ただテレビで見た梅澤構想のCGでは、多摩運河までの全域が「神奈川口」関連の建物になっていたので、現実に東側区域がヨドバシカメラに譲渡されたことがどういう意味をもつのか不明だ。)
「神奈川口」については先ず「神奈川方面からの空港アクセス」が話題となるのは当然だが、アクセスについては道路整備だけでなく鉄道についても様々な憶測を呼んでいる。もともと京浜運河方面には、「京浜臨海部再編整備協議会」「京浜臨海部活性化協議会」などがあって、「東海道貨物支線の貨客併用化」を実現しようという取組みがなされている。一方川崎市は積年の課題として、多摩川に沿って細長い市の上下一体化(利便化)を目指しているが、この方面では「いすゞ自動車」の裏手・小島新田まできている京急大師線が話題になる。かねてより大師線は新たに地下に引き直され、本線(京急川崎)から離れて、JR川崎駅に接合させるという計画が噂されている。さらに新しい大師線はJR川崎で川崎縦貫鉄道(小田急「新百合ヶ丘」とJR川崎を結ぶ地下鉄:計画は延期されている)と相互乗入れする(軌間変更が必要)という案まで浮上していて、「神奈川口」構想がこちらに与える影響も微妙なものがありそうだ。(いずれにしても現状では、何が実現しそうで、何が噂に過ぎないのか判断は難しい。)


公共事業としては異例の設計・施工を一体とすることになった「東京国際空港D滑走路建設外工事」の入札は2005年3月に予定されている。(当該工事の工事範囲は滑走路、連絡誘導路に関する基本施設、航空保安施設等のみではなく、東京港第一航路移設工事(航路浚渫および土砂処分)を含む。) これに応札する共同企業体(JV)は8月26日までに競争参加資格確認を申請する必要があったが、鉄製の浮体構造物(メガフロート)での応札を目指してきた造船業界(三菱重工業など)は8月20日までに参加断念を決め、応札するのは建設業界のJV(鹿島など建設会社を中心とする15社からなり,埋立と桟橋を併用するハイブリッド工法を推す)のみになりそうだという報道があった。(2004.8.21 日経新聞)
造船業界が応札断念に追い込まれたのは、2004年6月に国交省が発表した「入札実施方針」において、「応札する共同企業体(JV)は、空港土木、港湾土木、舗装、鋼構造物の4工種について各2社・最低8社(最大15社)で構成することが必要」とされたことによる。このJVの構成要件を満たすため、造船業界を中心とするJVも、ライバルである建設会社(ゼネコンやマリコン)を加える必要が生じ、事実上JV結成の見通しが立たなくなったためである。(2004.8.2 の日経新聞によれば、造船業界はJV結成のために打診したゼネコン(約80社)すべてに参加を拒否されたという。一方の建設業界は主に滑走路部分は埋立てにより、連絡誘導路部分を桟橋で作る「ハイブリッド」方式に一本化して応札するが、必要な鋼構造物は桟橋部分だけであるため、ゼネコンが中心となりこれに橋梁メーカーなどを加えれば条件は達成できると報道されていた。[注]:一つの社が複数の異工種JVの構成員として参加することは認められていない。)
「メガフロート」は、造船所で作った鉄製の箱をつなげて海上に大型の浮体構造物を形成する新技術。造船業界や鉄鋼業界は横須賀沖に実証試験のためのメガフロートを設置し、1999年から飛行機の離着陸実験を繰返して安全性をアピールしてきた。国交省も「メガフロート」を技術的には使用可能と認めていたが、先に普天間基地(沖縄宜野湾市)の沖合移転に活用する構想が立消えになっており、今回羽田再拡張への応札が断念に追込まれたことで、当面実用化の機会は無くなり、「メガフロート」は事実上の休眠技術となる可能性が高いという。 (2004.8.21 日経新聞)
国交省は結局空港としての安全性確保の面で保守的になり、JVの構成について実績を重視する要件を課すことになった。入札が無競争になったことで、工法選定会議が工法の決定そのものを競争入札に託すとした趣旨は生かされなかったことになる。今回結果的に「メガフロート」工法を門前払いしたことについて、国交省は入札実施方針を発表した段階(6月)の質問応答の中で、「今回の工事は空港の建設工事であり、建設業法等の関係法令及びWTO協定に基づき、必要な競争参加資格要件を定めている。なお、今回の入札にあたっては、公平性、透明性の確保を前提に最大限の弾力的運用を既に行っている」 との見解を表明していた。


「東京国際空港D滑走路建設外工事」(新滑走路のための空港島及び、現空港敷地との連絡誘導路に関する基本施設、航空保安施設等、並びに東京港第一航路移設のための航路浚渫、土砂処分)は、2005.3.23 国交省から、当該工事が鹿島を中心とするJV(鹿島・大林・五洋・佐伯・清水・新日鐵・JFEエンジ・大成・東亜・東洋・西松・前田・三菱重工・みらい・若築 異工種建設工事共同企業体)によって 5,985億円(税抜 5,700億円)で落札されたと発表された。2009年の滑走路使用を目指し2006年春にも着工する。
入札に先立つ 2004.10、国交省関東地方整備局内に、第三者委員会である「コスト縮減検討委員会」(座長:飯島英胤(株)東レ特別顧問)が設置され、2005.3.2 の第4回会議で、第一航路側の滑走路の高さを当初予定の AP+23 から AP+17.1 に5.9メートル低くする、無線施設用地を当初計画位置から移動し空港島の面積を縮小する、などの設計変更を含むコスト縮減のための提言がなされている。)

現敷地内の多摩川左岸に面した地区に建設を予定される、国際線ゾーン(旅客ターミナル、貨物ターミナル、エプロンなど)についてはPFIを導入することが決まっているが、国土交通省(関東地方整備局港湾空港部)は、2006年1月末に、「エプロン、航空保安施設、構内道路等の設計、施工及び維持管理に関する業務」については、大成建設グループ(大成建設、鹿島建設、五洋建設、東亜建設工業、鹿島道路、大成ロテック)が落札したことを発表した。(520億円 次点は清水建設グループ)
国際線ゾーンの他の2業務、「旅客ターミナルビル事業」と「貨物ターミナル事業」の整備・運営業務に関しては、第二次審査参加資格者が公表される段階になっている。
旅客ターミナルビル事業には、「HKTグループ」(日本空港ビルデング、日本航空、全日本空輸、成田国際空港、東京電力、東京瓦斯、エヌ・ティ・ティ・データ、セコム、京浜急行電鉄、東京モノレール)のほか、「オリックス羽田プロジェクト旅客チーム」、「三井・ADPグループ」が参加している。
貨物ターミナル事業には、「オリックス」、「三井物産」各グループのほか、「HACT21グループ」(空港施設を代表とし、日本航空、全日本空輸、国際空港上屋、東京電力、東日本電信電話、綜合警備保障、豊田自動織機などで構成される)が参加している。
国際線新ターミナルの建設が予定される国際線地区は、A,B滑走路の各誘導路と多摩川延長水路の左岸で仕切られる三角地の辺りになる。国際旅客ゾーンには国際線用のターミナルビルが建設され、その北東側(A滑走路までの間)は国際線用のエプロン(駐機場)が整備されるエプロンゾーンになっている。国際旅客ゾーンの真下を京急電鉄空港線が通っているが、京急ではPFIとは関係なく、独自に整備費用100億円を投じて国際線ターミナルの地下に空港新駅(仮)を建設し、ターミナルの供用開始に合わせて開業することを決めている。


4本目の滑走路(D滑走路)はC滑走路の端から2キロメートルほど遠くにあり、現管制塔からはその全域を十分に目視することが出来ない。そこで国交省東京航空局は2005年に総工費30億円余りを投じて、現管制塔より38メートル高い116メートルの新管制塔を建設することにした。(国内では最高の高さとなり、世界でも3番目の高さの管制塔になるという。)

上の写真は2008年5月初旬に、第一ターミナル屋上の展望デッキから、(左側の)現管制塔の南200メートルほどの位置(P2駐車場の一画でバスプールだった場所)に建設中の新管制塔を撮った。がっちりした格好の現管制塔とは似ておらず、断面が薄い楕円形をした平たい建物で、管制塔としては見慣れない印象を受ける。


「羽田空港神奈川口」については、その構想が発表され、「神奈川口構想に関する協議会」(北川国土交通大臣・松沢神奈川県知事・中田横浜市長・阿部川崎市長)が発足してから2年後の第4回(2006.2.7)を開催して以後、表立った動きは停止しているようにみえる。検討の内容を詳しく知ることは出来ないが、表向きの発表を見る限りではこの間目立った進展があったようには窺われない。
「神奈川口」の建設は、空港再拡張に伴い、現アクセスだけでは混雑して賄えないとか、ホテルや上屋が不足して運営に差し支えるとかの想定があって、その解決のための対策として前から考えられていたものではない。国交省は羽田空港再拡張事業計画策定の当初より、地元自治体にも応分の負担を求めるとしていたが、経済波及効果の大きい東京都はともかく、他の周辺自治体はこれに反対の意思表示をし、最終的に東京都が1000億円、神奈川が(神奈川県・横浜市・川崎市)合せて300億円を負担(国へ無利子貸付)することで妥協が図られた。「神奈川口構想」はその際、神奈川側が出資する見返りとして、国に対しその構想実現への協力を取り付けるという経緯で表に出てきた。
神奈川側の「思い」は、近年空疎化が進みすっかり寂れてしまった臨海工業地帯を何とか活性化したいということにある。殿町から大師河原方面の一帯に「空港の神奈川口」を建設することをその起爆剤とし、背後の塩浜周辺地区に中心地となる新しい「まちづくり」を行い、臨海地区には空港への近接性に着目した各種産業の立地を促進し振興を図っていくというのが「神奈川口構想」だった。
偶々、空港の対岸にあたる殿町3丁目の「いすゞ自動車川崎工場」(37ha)が移転することになり、「神奈川口」を造る格好の土地が確保できそうだという条件はあったが、「神奈川口」への需要が喚起できるかという肝心の点で、殊更有利な背景があったという訳ではない。降って湧いたような話で「四者協議会」が設置されたものの、直ちに一大プロジェクトが始動するという状況には程遠かった。

「神奈川口構想」では当初、「神奈川口」の空港機能分担について、ホテル、貨物上屋(うわや:税関で検査する貨物を短期間保管するための倉庫)など臨空産業の立地促進だけでなく、空港会社カウンターや、羽田空港の国際化に照準を当てたCIQなど空港関連施設の整備促進を目標に掲げていた。(CIQとは、税関(Customs),出入国管理(Immigration),検疫(Quarantine)の頭文字で,人や貨物が海外と往来する際に必要になる手続業務を指す。)
しかし空港機能分担の柱になると期待された航空会社のカウンターやCIQは、協議会が発足した1年後には早くも、セキュリテー対策(警備)などに大きな問題があるとされ、「(これらの誘致に関しては)課題を整理するにとどめ当面は先送りする」ことで同意したという(未確認)情報が流れた。(関係各方面のヒアリングによる旅客の需要動向調査の結果が芳しくなかったことが響いたらしい。)
2006年2月に行われた第4回協議会の議事録には、「空港機能の分担」について、「引き続き塩浜周辺地区の「まちづくり」と連携しながら、神奈川口に期待される機能の導入促進に向けた企業等への働きかけを行っていく」と記載されるに留まっている。
第一期工事として着手する対象範囲も、殿町・大師河原地域100ha余りに限定され、浮島地域、渡田・小田栄地域、水江・扇町地域など、近隣で空洞化が深刻な臨海部の再生は当初計画では着手が見送られる趨勢と伝えられている。


幸か不幸かこの計画策定に関わる担当部局は同じ国交省内の航空局や河川局(関東地方整備局)ということで、提起される諸問題が省庁間の対立という構図にならなかったという事情がある。
当初の反対勢力は東京湾第一航路の航行安全を重視する船主協会であったが、空港島を多摩川延長水路に大きくはみ出させることで妥協が図られた。次いで成田空港の地盤沈下を危惧する千葉県が、騒音増大を東京都も分担するべきであると抵抗したが、国交省は費用を分担する「地元」から千葉県を外し、更に浦安市街地上空の飛行を回避する対策などを提案したため、千葉県も抵抗を続ける大義名分を失った。
反対する勢力が殆ど消滅した今、産業界を中心に(評論家も挙って)羽田空港の再拡張を急げという声が日に日に高まってきている。この状況は東京オリンピックを間近にして京浜2区,3区の埋立てが一気に進んだ頃のイケイケドンドンの状況に似通っている。
一つの空港が4本もの滑走路を運用している空港が世界にあるのかどうかは知らない。計画では24時間平均で、平均離発着間隔は1分20秒になる。過密時間帯で秒単位の離発着が行われることは間違いない。コンピューターシステムの増強は十二分に計画されているだろうか。管制官が突然変調を起こした場合などに対するバックアップ体制は2重3重に組まれるだろうか。滑走路は何本に増えても空域そのものが広がることはない。管制上の不安は本当に無いのか、報道関係者は空港再拡張の経済効率や物理的な側面だけでなく、安全面に関わる管制現場の生の声なども鋭意取材し報道してほしい。

新たな滑走路の敷地は多摩川の延長水路の半分以上に大きくはみ出している(D滑走路の位置で川幅1540Mの62%にあたる950Mまで張り出す)。 国交省は「入札実施方針」の中で、「埋立・桟橋組合せ構造の基本形式は、多摩川の河川流に影響を及ぼす範囲については桟橋構造にすること」と定めているが、「河川流に影響を及ぼす範囲」という表現は曖昧であり、実際には「空港島のうち多摩川の延長水路にはみ出す部分と連絡誘導路のこと」と解釈されている。(「要求水準」の「第2章 提示条件」には「多摩川河口域図に示す多摩川の左右岸の河口法線に挟まれた区域(以下「河口域」という)において設置される構造物は、河川管理上支障のないものとし、河川管理施設等構造令第8章橋の規定に準拠するものとする」と記載されている。)
平易に言ってしまえば、「河口延長水路内に作る構築物は、橋のような(河積阻害率が小さな)ものにすれば問題ない」ということのようだが、それで本当に防災面(河川管理上)の不安はないと断言できるのだろうか。

翻ってみると「首都圏第3空港調査検討会」が羽田の再拡張に「お墨付き」を与えた条件は、「空港島本体の一部または全部を桟橋等の透過性構造とすること」と、「現空港との間に水量を確保すること」の2つだった。
河底が勾配をもって流れる河川域では、構築物の「河積阻害率」が水流減量の支配的な要因かも知れない。しかし河口に近い最下流部では河底は海抜ゼロメートルを割って既に勾配は無く、平時でも潮の干満に応じて海水が低水路を行き来している。上流から下ってくる河川水は河底側の海水を完全に押し退けて下っていくのではなく、ある程度上滑り的な形で流下していくのではないかと想像される。洪水の場合にも汽水域で流下する流量が捌かれる仕組みは河川域のように単純なものではないのではないか。
河口近傍域では(高潮による逆流というケースさえあるように)、幾何学的な川の断面積全てが洪水の流下に寄与できるわけではなく、出口海面の拡がりこそが流下量を保証しているように思える。即ち、洪水時には上流から流れてくる大量の水流量を捌くため、河口近傍域といえども川水面に相応の勾配が出来濁流が水路を流下する。すぐその先で河川水が速やかに広い表面積に開放されるという環境の確保が、最下流域で洪水を滞ることなく流下させ、(とりわけ水位の上がる満潮時にも)氾濫を引き起こさせないための前提条件になっているのではないだろうか。

浮島と空港によって不自然に形成された現状の「河口延長水路」は、完全に勾配を失い本来開放されるべき段階にきている河川を、なお閉鎖水路に閉じ込め続けるもので、現状でも既に危うい感じが否めないものである。仮に洪水時の流下勾配が1/2000に達すれば、3キロメートルの距離で後方に1.5メートルの水位上昇を引起す。堤防の余裕高さは計画高水位に対して1.5メートルとされているので、河口延長水路の影響はけして軽いものではない。(スーパー堤防の構築は高水位の上昇という事態に有効とは言い切れない。)
(おそらく河口先が現況のように作られて以後、奥多摩湖が満水となり、小河内ダムが長時間に亘って全開状態で放水を続けざるを得なくなる程の集中豪雨に見舞われた経験(実績)はないと思う。)
羽田再拡張に対して「調査検討会」が、「多摩川延長水路の法線からはみ出す部分の桟橋化」のみでなく、「再拡張部を島状にして間に海を入れる」ように求めたのは、洪水が表面的に拡る領域(範囲)を重視したためと思われる。その意味では本来空港島は全部が桟橋構造になることが理想的だった。
空港島は多摩川側のみを桟橋にすれば事足れリというのは、水路の断面積が高水流量を支配する通常河川に対する発想である。第一航路の側を埋立により堰き止めてしまえば、連絡誘導路方向に向かった洪水は、拡がることなくむしろ急速に狭められていく水路に閉じ込められる形になり、この水路では想定したほどの流量を捌けないかも知れない。もしそうだとすれば、「延長水路にはみ出した部分のみを桟橋にして河積阻害を回避した積もり」でも、実際には「もともと危うい河口延長水路を更に長くしただけ」という結果に終わっている可能性もあるのではないか。
ここにきて空港島が3工法のうち一番通水性の低い「埋立・桟橋組合せ構造」で作られることがはっきりし、先に空港島(滑走路)の位置が変更(7.5度回転)されることになった(現空港と新空港島の間の水路幅が狭まり、連絡誘導路は380メートル短縮された)こともあるので、この際もう一度精密な模型を使った洪水のシミュレーションが行われることを是非期待したい。(D滑走路用の空港島は、多摩川河口側の端から連絡誘導路までの1100メートルを桟橋構造とし、その先の第一航路側2000メートル余りは埋立てられる。)

近年世界中で「異常気象」が日常化している。地球温暖化などの進行により、100年や200年程度のデータベースから見れば「突出」した事象が頻発し、とりわけ大規模な水害が多く発生している。こうした現実に対して防災基準を見直し、「想定」の範囲をどこまで引上げる必要があるのかという判断は難しいが、少なくとも100年や200年程度のデータベースを以って「異常」や「想定外」を言うべきでないことは確かだ。防災関係者は、従来までの「常識」がもはや通用しない時代にきていることを十分認識しておかなければならない。
事が起きてしまってから、実はコレコレのデータは(密かに)提示していた、などという言い訳は断じて許されない。国交省(旧建設省)はかつて 狛江水害事件 において、洪水の流下に対し障害となる恐れのある構造物を流路内に放置し続け、司法によってその怠慢が厳しく糾弾されたという前科がある。今回もし万一その怠慢によって結果的に災害に至ることがあれば、その被害が空前の規模に達するだろうことは想像に難くない。
空港島や連絡誘導路を「埋立・桟橋組合せ方式」で組込んだ綿密な模型実験やコンピューターシミュレーションを行い、単に「計画高水量毎秒7,000立米に於いて何事も起きない」というだけではなく、「想定以上となるコレコレの集中豪雨になった場合には、洪水は下流のドコソコで滞り堤防を超えることになるだろう」というような、極限状況までの「想定」実験を行い、空港再拡張の影響がいかなるものなのかを公表してもらいたい。
新D滑走路の位置は河川事務所の管轄範囲の外側にある。だがその影響が多摩川に及ぶかぎり、京浜河川事務所は、既定路線による空港の再拡張が、多摩川の防災上には何の問題も引き起こさないことを、根拠を示して沿川住民に説明する責務があると思う。


2010年10月21日遂に再拡張された羽田空港が開港になった。商業マスコミは挙ってこれを称え、ハブ空港になるには未だ着陸料金が高いことが問題だ、シンガポール(チャンギ)や韓国(仁川)に対する挑戦は始まったばかりだ、などといずれも興奮気味に日本の成長戦略を論じていたが、世界一危険な空港がオープンしたという管制上の不安に触れるものは少なく、テレビ東京(日経新聞系列)の看板番組WBSでは、女性キャスターが第5滑走路にまで言及し不敵な笑みを浮かべていたのが印象的だった。(尚2012年末、第2次安倍内閣で復活した経済財政諮問会議の民間議員に起用された4名のうち、現役の会社社長以外の2名(東大教授と日本総研理事長)は、偶然にもこの番組のコメンテーターとして「羽田空港に第5滑走路を作れ」と主張していた人物である。)
羽田空港の滑走路は4本が全体として計画されたものではなく、3本で稼動していたところに、どうしても羽田を拡張したかった勢力が無理矢理に第4滑走路を追加造成したものである。第4(D)滑走路は従来まで主要滑走路として使用されてきたA,C滑走路の行く手を遮るような位置に、新規に埋立を行って作られたもので、4本の滑走路は井桁状の配置となり、同時運用に於いては当然ながら空中経路が交差し機体が接近する事態が頻発する恐れがある。(ACと直交する向きのB滑走路は陸側にあって、ACが横風となる南風強風時や悪天候時に着陸専用に使用されてきた。D滑走路はこのB滑走路とほゞ平行な向きで沖側に作られ、今後空港がフル回転するようになった時点では4本が同時に運用されることになっている。滑走路が井桁状に配置された空港は世界に類を見ないものではないという指摘もあるが、極めて接近した離着陸間隔や航路制限などの厳しい制約を併せて管制の難度を判断するべきであり、単に先例があるから安全だというのは不用意で危険な議論だろう。)
もともと羽田の空域は西側を横田空域に取られ、東京市街地上空や川崎の石油コンビナート地域の上空は飛ばないという慣行がある上、羽田の再国際化で成田が地盤沈下することになり、何かと不満がある千葉県からは浦安の市街地上空を飛行しないよう航路に制限を付けられるなど制約が多い。唯一自由に離発着できるとされているC滑走路でも、陸側に離陸した場合は速やかに旋回することを義務付けられ、パイロットはまったく気を抜けない。新らしい第4(D)滑走路は従来敷地の沖合側に作られたが、国際化に伴う国際線用の新ターミナルビル建設は、オキテンを設計した時点では全く想定外のことで用地が無く、空港全体がオキテンによって移転した跡地になる多摩川左岸寄りに(当初の変換想定地を召上げる形で)作らざるを得なかった。国際線ターミナルが井桁の外に配置させられたことで、特にD滑走路に着陸した機が国際線のエプロンに向う場合にはA滑走路を横断することが避けられない。滑走路が地上で横断機に遮られる形が恒常化することになれば、着陸機や離陸に備える機体が空港内を動き回り、滑走路に誤進入するケースも懸念されるようになるだろう。これらの事態が管制官に対して従前とは異質の大きな負担を強いることは間違いない。
A滑走路を離陸するジェットはB滑走路の中央部に噴射を吹き付ける。B滑走路が今後どのような運用が為されるかは分からないが、着陸は最悪ゴーアラウンドの場合もあり、A滑走路の離陸がそちらだけの都合で決められれば、B滑走路の利用機は土手っ腹に突風を浴びせられることにもなりかねない。そのほかにもD滑走路を無理して作った歪はあちこちにあって、例えばB滑走路と平行に作る予定だったD滑走路は、航路の制約が厳しく結局Bとは平行でなく7.5度傾いて作られた。また直下を大型船が航行する(東京港第一航路)ことから万が一、機体がマストへ接触する懸念を解消するために、D滑走路の半分は滑走路面が水平ではなく、海側が高い0.1度の傾斜(坂)になっている。D滑走路への着陸は水平から厳密に3度の角度で進入するものとされているが、パイロットは何か違和感を感じることはないのだろうか。
管制官が見なければならない箇所や指示する場面が多過ぎ、エンジントラブルによる緊急着陸や突風、バードストライクなど、何か異常が起きた場合に対処しなければならない事項は尋常の範囲を遥かに超えるだろう。悲惨な事故が起きれば、それは起こるべくして起きたと言わざるをえない。
羽田は今後3年掛けて徐々に離発着回数を増やし、最終的には現行の1.5倍にするとしている。想定される危険やトラブルが多すぎて、管制官がびびり目標は達成できない状況が想像されるが、何をモタモタしているんだという叱責が飛び、やがて管制塔が制御不能に陥って大惨事に突き進んでいく姿は悪夢ではなく今現実のものになろうとしている。道を誤ったのは、羽田は限界だと言って成田を作り、羽田はオキテンの段階でここはもう可能な限り開発し尽くしたと言っていたのに、何故か又羽田に舞い戻ってきた時点にある。D滑走路の建設を容認し、国際線の復活まで許してきたことで同罪を背負った我々が、地元民としての責任を果たす機会が残されているとすれば唯一、「これ以上無謀な増便は無理だ」という管制官の悲鳴が聞こえたとき、これまでの不明を恥じ、臆せずに管制官の立場を擁護し学者や評論家などの無責任な言動と闘うことだろう。

羽田空港の再拡張決定(D滑走路の建設)は、東京への一極集中を地方分散させるべきだ、という見識が敗北した結果の一表徴だったが、その後も国交省が変節して羽田の再国際化に踏切るなど危険を顧みない判断が続いたのは、経済的合理主義でしか物事を判断できない「識者」の声に国交省が押切られたためであるが、その背後には消費至上主義経済でアジアに負けるぞという焦りが色濃く滲んでいるように思われる。官民一体のオールジャパンで挑まなければ日本の行き詰まりは打開できないと声高に言う人が、その一方でいまだに「羽田」々々と言い続ける矛盾に自身で何故気付かないのだろうか。(大井埠頭の役割を横浜港か千葉港などに移管し、東京港第一航路を廃止してでも羽田空港に第5滑走路をと主張する学者や評論家は今でも少なくない。) 日本にハブ空港を作るなら狭くて何かと制約が多い羽田より関空を拡充する方が遥かに適しているのではないだろうか。(因みに、国際的に評価の高い韓国の仁川国際空港では、3本(将来的には4本)の滑走路は皆平行に配置されていて、長さも無理を重ねて作った羽田空港の滑走路がB,Dとも2500メートルに留まるのに対し、仁川ではいずれの滑走路も3750乃至4000メートルの長さに作られている。)
平時には運用ができていても、それがぎりぎりの状態であれば、有事に行いうることの許容範囲は殆ど無いに等しい。施設の安全性を評価する場合、平時には出てこないこの隠れた余裕がどの程度あるのかということが重要な要素になってくる。元々羽田空港に対して「仁川に負けるな!」というのは常軌を逸した発想であり、東京への一極集中をより高め、東京が日本を引っ張るという主張には古さしか感じない。都市と農村・漁村など全ての国土が全体として均衡ある発展を図っていくことがオールジャパンで挑むことの欠かせない要諦である。
日本では惨事が起きてから初めて、もともと無謀だったのだ、どこで道を誤ったのだろう、というような議論をすることが多い。(福島の原発はかつて何度も巨大な津波が襲来したことのある場所に作られながら、根拠の無い安全神話に浸り、非常時のマニアルを用意せず、一度の被災想定訓練も行わなかった。オペレーターは自分の扱っている装置が全電源喪失という非常時に、なおどれだけの対策が残されているのかさえ正確に知らなかったし、消防自動車による給水も経路を掌握しきれていなかった為、最後の救済手段になり得なかった。福島の原発事故はJR西日本の信じられないような惨事と同様に人災であった。)
羽田空港で何かが起きて、どうしてこうなったのだろうか、などという検証が繰り返されないことを祈っている。検証するまでもなく、羽田空港は既に安全性を度外視した人間の愚かさの塊りであると言って過言ではないのだから。  

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