<参考22>  体細胞クローン


バラ科に属するサクラは「自家不和合性」のため、ソメイヨシノのような交配種では、原木が1株では受粉受精により種子を作ることは出来ない。即ち同種の木を増やすには、挿し木や接ぎ木など原木のクローンを作るしか方法が無い。
 (自家不和合性とは、雌しべ、雄しべが共に健全でありながら、受粉が行われても受精に至らない性質をいう。この性質は、雌しべと花粉で自己・非自己の識別が行われ、雌雄の遺伝子に共通のもの−不和合性遺伝子−があると受精過程が阻害されるような作用がはたらくもので、自花だけでなく同株内の他花間にも同様に当てはまる。何らかの異常により起こる不稔性とは区別され、ナス科、バラ科、アブラナ科によく見られ、植物界にかなり広く見出される性質である。不和合性遺伝子は、被子植物が科に分化した頃に、近親交配抑制機構として形成されたと考えられている。ただし3科の種属が皆自家不和合性というわけではなく、例えば当家の隣家にあるビワ(バラ科)の木は単木ながら毎年豊富に結実し、数十羽のカラスの群れがやってきて喰い散らすのが年中行事となっている。)

クローンの語源はギリシャ語の「小枝」から来ていて、挿し木のイメージから想像されるようなもの、即ち「遺伝子が同一である個体」を指す。動物のクローンには2通りあって、1980年代後半に行われたものは、クローン胚(受精後発生初期の、分裂回数が一定段階までの細胞)を細胞レベルにばらして、それぞれを別の卵細胞に合体させた上で妊娠させ、多くの子供を一度に誕生させるものである。一度の生殖から同じ遺伝子を持った多数の次世代が得られるが、有性生殖そのものは行われており、世代交代(遺伝子の更新)は成されている。
1996年イギリスで羊のドリーが誕生し、日本でも2年後には2頭のクローン牛が誕生した。以来動物のクローン生産が脚光を浴びまた物議をかもしてもいる。これらのクローンは体細胞クローンと呼ばれ、親の遺伝子を卵細胞を使って複製しているだけで、有性生殖は行われておらず、世代交代は行われていない。有性生殖をしてしまうと子の遺伝子がどうなるかは未知である。そこで欲しい遺伝子を持った個体への欲求が体細胞クローン技術に行き着くことになった。

バクテリアは無性生殖(細胞分裂)によって増殖する。海中の藍藻(シアノバクテリア)は進化した細菌の一種だが、太陽のエネルギーを還元力に変え、水や炭酸ガスなど身の回りの無機物から有機物を作り出す光合成の技術を開発した。生物界のエネルギー媒体は主として水素(中の電子)である。シアノバクテリアが進化した光合成を開発する以前は、エネルギー媒体である水素は地中から噴出してくる硫化水素などから調達していた。しかし高性能アンテナを持って大きな太陽エネルギーを得られるようになった藍藻は、すぐれて安定な化合物である水を分解して水素源として利用するようになった。
水から水素が引き抜かれるようになった結果、海中に遊離酸素が蓄積するようになり、やがて大気中に出た酸素分子によって上層にオゾン層が形成されるようになった。オゾン層の存在によって紫外線が緩和されるようになり、緑藻類やシャジクモ藻類などの緑色藻類、緑藻類或いは藍藻類と菌類の共生体である地衣類などが地上に出て行った。こうした「地衣藻類」の生物活動と岩石の風化が相俟って次第に土壌が生成され、やがて進化によってコケ植物が生まれ、次いでシダ植物(シダ類・ヒカゲノカズラ類)など初期の植物が地上に繁茂した。
(生物の陸上への進出が始まったのは「古生代・シルル紀」の頃とされ、脊椎動物は無顎類から初期の魚類が進化していた。植物の種分化が進み魚類が多様化したのは続く「デボン紀」(今から4.1億〜3.6億年前)の時代で、この紀の後期に硬骨魚類(肉鰭類)から進化した両生類が出現し、動物の上陸が始まった。石炭の元となった巨大なシダ植物が大森林を形成したのは次の「石炭紀」である。)
その後の高等生物は動き回って栄養を求める動物と、根を張って生産に勤しむ植物の2系統に分かれて進化していく。
植物は太陽光からエネルギーを得、無尽蔵ともいえる炭酸ガスと水を糧に生きるので、生存条件は安定していて、樹木は大きく成長を続け、その寿命は動物より圧倒的に長い。一方動物は他の動植物を捕食して生きるので、常に生存競争が付きまとい、相手より先に進化しないとやられてしまう宿命を負っている。動物の世代時間が短いのは、環境適応力を増すため即ち、進化のスピードを早める可能性を備えるためである。寿命が長くなり過ぎてしまうと、テンポが遅れ回転が鈍くなるので、成長はそこそこで止め、成熟して次世代を作る用意に入るようになっている。
(脊椎動物の細胞分裂を制御しているメカニズムは、テロメアとテロメラーゼに関するものが現在までに解明されている。 細胞は分裂する時にDNAを複製するが、複製する度に末尾にあるテロメアと呼ばれる部分が磨滅して短くなり、細胞はテロメアが無くなった時点(50回)で、複製が出来なくなって分裂を止めるように仕組まれている。発生期のように激しく分裂する時期(成人では生殖細胞など特殊な細胞)には、酵素テロメラーゼが働いてテロメアを補充し続けるようになっている。ただ老化には脳の老化などのこともあり、この細胞分裂制御が老化の全てを決めているわけではない。癌細胞の異常増殖もテロメラーゼ活性によるので、癌細胞のテロメラーゼを阻害する形の制癌剤の開発が試行されている。)
(「第ニ部 ガス橋周辺 その2 堤のサクラの春と秋」のページに載せているNHKの「クローズアップ現代」で、枯れが目立つ「尾道千光寺公園」のソメイヨシノと、手入れされて元気な「弘前公園」のソメイヨシノの細胞からDNAを抽出し、双方のテロメアの長さを比較したが差は無かったと紹介していた。遺伝子解析は東北大学農学部で行われた。)

進化の果てに辿(たど)り着いた高等動物では、種の存続を図るために、集団を構成し(程度の違いはあれ)社会生活を営むことが必須となった。そこでは世代交代は単に環境耐性を獲得するためだけではなく、社会生活を成り立たせるための、個の多様性(個性)を維持し続けるためにも不可欠となった。(不断に争うことで強いリーダーを残したり、役割を分担することで集団の機能性を高めたり、というように、集団が社会生活を営み環境適応性を革新していくためには、個の独自性が保証されなければならず、世代交代による遺伝子の更新が前提とされる。)
世代交代が遺伝子を更新し、個の多様性を革新する機会となった高等生物では、近親交配は禁忌(きんき)とされていく。親の遺伝子が似ている近親交配では、交配によって遺伝子が収斂していくので、個の多様性が阻害されることになって好ましくない。自然界では近親交配は起きないような仕組みが出来ているが、それでも誤って近親交配が結実してしまった場合には、新世代は奇形化するなどして生存力が弱くなり、自然淘汰され種の維持に弊害を及ぼさないようになっている。

高等生物での発生は有性生殖を前提としており、その中ですべての機能が正常に働くような仕組みが作られてきた。体細胞クローン胚は外見的には正常な生殖胚と区別が付かないようなものかも知れない。然し体細胞クローン胚は外見だけを似せて作った紛い物であり、発生の深遠なメカニズムは全く無視されているように思える。
高等生物はその起源的段階から、雌雄のDNAを合体させる方法で新世代を形成してきた。突然変異を定着させ新種を導く過程もこの有性生殖が基礎になっている。いかなる生物種にも、個体には寿命がありいずれ死んでいくが、世代交代による更新を経ながら、生物自身は(DNAを擁して)5億年以上も生き続けてきたことになる。DNAは起源時のものが引き継がれてきたため、後世に進化した種ほど内容が複雑化している。遺伝子は極めて冗長であるらしいが、無駄に見える部分がどういう意味を持っているのか正確には理解されていない。遺伝子は外見上の構造で全てのことが決まる訳ではなく、各部がアクティブになったり作用を停止したりすることで働きが異なる。有性生殖による正常な発生過程では、遺伝子そのものが更新されているため、諸機能の手順が正常に働くようにスタートする。然し体細胞クローンのように、成熟細胞の核を発生細胞に移植したようなものでは、おそらく正常な生殖細胞のような初期化のプロセスが無い。発生に於ける深遠な部分を踏まえず、ただ形だけを似せて作っているだけに、遺伝子が働く手順がどのように指示されているか、或いはいないか、はたまた偶然に任されているのか、いずれにしても自然界で言えば偶然に生じるような不出来(当然淘汰される)を人為的に実現しているようなものである。

動物は(プラナリアのような原始的なものを除いて)、発生から一定期間を経ると成熟して肉体的な成長は止まり、再生能力も有していない。それでも糖類などのエネルギー源だけで生きられないのは、タンパク質など生体構成分子個々には寿命があり、不断に合成が行われる必要があるからだが、指一本落としてもそれを形成する作用が働かないことは、挿し木が可能な樹木との大きな違いといえる。(植物では分化した細胞にもそこから根、茎、葉など違った器官を形成する能力:全能性 totipotency が残されている度合いが高い。)
生物では唯一初期化が行われるのが世代交代の瞬間(受精卵)だが、生物における初期化については殆ど解明されておらず、初期化せずに立ち上げた個体が、正常なものになるという保証は何も無い。 (ここでいう初期化とは、老化に関する「細胞分裂回数の制限プログラム」、即ちテロメアの長さが短縮していないかどうかというような、今分かっている部分に限定されることだけを指しているのではない。)

ソメイヨシノの最初の原木は江戸末期に生まれたというのが通説だが、その以後同系統の交配による別株がどの程度作られたのかは知らない。もし仮にソメイヨシノの原木が一本しかなく、その後全国に爆発的に普及したソメイヨシノが全て実生でなく、挿し木或いは台木で育てられたということであれば、ソメイヨシノは江戸末期以来一度も世代交代をしていないことになる。ある日突然に世界中のソメイヨシノがクローン性老化を起こして枯死することはないのだろうか? 里桜は実を付けないと言われるが、古い種として有名な八重桜であるフゲンゾウ(普賢象)の起源は鎌倉時代に遡ると言われる。どのようにして生き延びてきたのだろうか? というような疑問がわく。
動物のクローン生成はバイオ技術(核移植)が進歩して可能になった高度に人為的な操作であり、本源的な摂理に逆行する方向でもあるため、一時的に目的を達したとしてもその弊害は計り知れない。一方植物では挿し木や接ぎ木など、或いは根や地下茎を切断する株分けなど、雌雄の交配(実生)によらない増殖法が古くから行われてきたが、植物は社会を構成することはなく、クローンによる増殖は植物細胞が本源的に持っている分化全能性の高さを利用したもので、自然の摂理に背くことではない。確かに受粉した実から発芽するという世代交代(遺伝子の更新)を経ないクローン法(挿し木など)では、見掛けは苗木でも遺伝子は親木の遺伝子そのもので、細胞分裂回数などの面では親木の履歴を引継いでいくことになる。然しもともと自然界の樹木の個体そのものは、千年程度は楽に生きるような造りになっており、仮に遺伝子に寿命があったとしても、現実的にはクローン性老化を見届けるまでには至らないだろう。

縄文時代の一粒の種が、2000年の時を超えて花を咲かせたり(大賀ハス)、多摩川でも化石が見付かったことがある、恐竜時代のメタセコイヤ(アケボノスギ)の現生木が発見され、いまでは各地に植えられるようになったり、枯して千年・倒れて千年その姿を留めるといわれるトゴラックの生木が、一本の木に進化の跡を示す3種類の葉を付けているなど、植物の生命力には驚嘆し感動させられる話が多い。
植物の生命力を逆手に取ったように、生命維持装置で無理やり生かされているソメイヨシノは、古い時代の「人為」が哀れを誘う象徴とも言えるが、遺伝子操作が始まった今後は何が起きるか全く予想がつかない。自然科学には功罪あり、「罪」を打ち消す「功」の理由付けが必ず為される。あたかも「功」が勝って自然科学が進むように見えるが、実際のところはそのようにして進んでいる分けではない。最も前衛的な役割を担っているのは人間の本性(好奇心の部分)であり、表向きで研究を正当化させるために、様々な「大義名分」が後付けされているに過ぎない。
 



   [参考集・目次]