第三部 多摩川大橋周辺 

    その4 夕日・夕焼け・夕焼け雲 (第二章)


第一章では夏の夕焼け雲を特集した。この第二章では冬の日没と残照を特集する。
冬は空気が澄んでいて、富士山が見える日は珍しくない。ただ( [参考23] 夕焼けの雑学  で触れているように)、 冬場は上昇気流が弱く雲は大抵低い位置にある。低い雲は粒径が発達していて散乱力が大きいため、光が飛ばされてしまい雲の裏側が陰になり易い。従って冬場はきれいな夕焼け雲が見られる機会は殆どない。
その一方空気は澄んで乾燥し、水蒸気や塵埃など光を散乱させる微粒子が少ないため、日没前後の景観そのものは夏場よりはるかに鮮やかなものとなる。

以下の撮影位置は大体河口から8km辺り。ここは多摩川大橋の下手の大きな湾曲の頂点を過ぎた所で、川裏に著名な古川薬師(安養寺)がある旧古川村の地先になる。ここから川筋は2km余り川下の六郷橋に向かって、逆Sの字に大きくカーブしていく。水路は堤防から次第に離れ、間に河川敷(多摩川緑地)が広がっていく。南西向きに川を大きく捉えることができるこの場所は、冬場の夕日を撮影する絶好のポイントになる。(対岸で屋上に三角形のアンテナのある建物は右岸堤防川裏にあるラジオ日本(RF)の川崎送信所、高い中継アンテナの方は川原に剥き出しで設置されている。)

[No.341]〜[No.344] は12月下旬。左手奥の方に見える建物群は、川崎のベッドタウンになる県営の河原町団地で、その辺りが多摩川緑地の中心部と向い合う位置になる。
真冬の晴天の日は大抵風が強いが、この日も強い北風で、雲が夕日に吸い寄せられるように、どんどん飛ばされていく状況だった。
夕方4時頃、太陽は雲に入ったり出たりしていたが、[No.341] は最後に雲から出てくる前、この後太陽が露出する時間帯があって、太陽から真上にスミア(縦の白線)を生じて写真にならず、[No.341] から12分後にやっと [No.342] を撮った。(夕陽は下端が隠れ初めているが、この時点でもズーム気味なら多分スミアを生じたと思う。)
以下 [No.343] は [No.342] の2分15秒後、[No.344] は更にその3分56秒後である。
[No.341]〜[No.344] を見ていくと、大気が澄んだ日の夕日は決して赤くないことが分かる。輝度の高い太陽は白っぽく、日没直前でも着色は橙に近い黄色までで止まる。
一方周辺の空から散乱されてやってくる光は、短波長側の青色光が失われ、直接光に比べれば輝度も格段に低いため、着色度合が強調されて赤に偏る。空は暗くなるにつれ次第に赤味を増していく。

[No.345][No.346] は年があけた1月の下旬、場所は同じポイントである。[No.345] は、ビルの側壁に落日が反射した夕景色、[No.346] はそれから3分余り後、夕陽が沈んだ直後のその方向の情景。
夕日夕焼けとしてはそれほどのものではないが、冬場は大体こんなもので、日中白くみえる雲も日没時点では既に陰になって暗く、夏に見られるような劇的な夕焼け雲は期待できない。(2003年の冬は、この後は2月に入ると雨天荒天続きで、日没そのものが確認できないような日が多く、懸案だった「日没点が何日頃富士を越えて北側に入るか」ということは遂に確認出来なかった。)

この辺りは「感潮域」で、潮の干満によって水位が上下し、平時には川の流れを実感することは殆どない。上流から流れてきた淡水は、比重の大きい海水の上に薄く広がる。川面は凪(な)いでいても、さざ波が立っている部分と鏡面のように反射する部分とが複雑に溶け合った模様を作る。さざ波の立った水面は色濃くあるいは白っぽく見え、その間に空を映す鏡面が複雑に入り混じって見える。


2003年は春から夏に掛けても天候不順の日が続いた。梅雨は8月にずれ込むほど長く、夏は冷夏で短く、秋に入っては異常に暖かい日が続いたりした。
この年は6月に多摩川台公園でアジサイを撮ったが、その後は夏から殆ど撮影に出なかった。天気が冴えず草木にも精彩が無く、撮影に出かけようかという気分になる日が無かったためである。

2003年3月に光学ズームが7倍まで撮れるカメラに更新していたが、サクラやアジサイを撮ったものの、夕焼けなどの情景は1枚も撮っていなかった。2003年10月、カメラの違いを比較してみたい気持もあって、妙な雲行きだったがこの日初めて夕日の試し撮りに出かけた。
撮影場所は、冬場のポイントである旧古川村地先の河川敷。この日の雲はきつい配置であまり綺麗な景観とはいえなかったが、このカメラ(ミノルタ7i)の方が厚みのある写真が撮れること、ただしレンズ歪が大きいことなどの特徴が分った。

右の [No.348] とその下の2枚 [No.349][No.350] は同じ日の撮影。12月の下旬で冬至に近づいた頃である。この日は雲が出ていたが、空気は澄んで夕日が眩しく感じられる日だった。
[No.348] はいつものポイントで、日が沈む前から撮り始めた。後で整理するための記憶情報を残す意味もあって、余裕があれば大抵日没前から撮るが、夕日が眩しいような日の逆光写真は、スミア(縦の白線)が入るなどして通常は使い物にはならない。この日も水面に照り返しのラインがギラツクうちは極端に露光を絞っていたが、太陽が隠れ始めてからは露光を開放していった。
この写真は太陽が丁度半分くらい隠れた時点のものだが、ノイズが出ることもなくこの手の写真としては珍しく綺麗に撮れた。西方上空に雲が出ているが、地平線付近に雲が無かったことでこの瞬間が撮れたわけである。

この時期の日没は大体夕方の4時半頃。上の [No.348] はその数分前ということになる。この日は空気が澄んでいたので、川上側から日没後のテクノピア方面を撮ってみることにした。
夕焼け雲が見られない冬の日没では「残照」が狙いになる。「夕焼け雲」も日没から15〜20分位経たないと本格的には染まらないが、「残照」はもっと遅く、日没から40〜50分位経った頃に一番美しい瞬間が来るので、諦めずに辛抱強く待たなければならない。

古川のポイントから数百メートル川上、川裏にトミンタワーがそびえる位置まで移動する。[No.350] に写っている木はオニグルミで、次の第四部(その1)の後ろの方で [No.417]〜[No.419] などを撮っている同じ木である。(夕日の沈む方向が右側なので、カメラは [No.417] よりやや右を向いている。)
[No.349] は早く着いて先ず川上側を撮ったもの。この写真で日没から25分くらい経過している。写真左側中央の建物は多摩川大橋の西詰にある川崎総合科学高校の校舎。日没地点はこの校舎の左側あたりになる。この向きではあとは暗くなるだけで何も起きない。
肝心の川下側を向いた [No.350] は [No.349] から15分余り経過した後の時点である。

上の写真を撮った日は三脚を持っていなかった。そのため [No.349] は手持ちの限界を超え、拡大するとかなり手ブレして品位を損ねていることが分る。二日後に三脚を持って捲土重来を期したのが右の [No.34A] という分けである。
この日は一片の雲もない快晴ではあったが、残念ながら大気の澄み具合は前の日より劣っていた。不満は残るが寒い中辛抱して撮ってきたので1枚掲載した。
正面木の下は右岸のテクノピア。その左の強い赤色灯は左岸のシャープ屋上のネオンサイン。見えない川道はその間を下っていることになる。([No.417] を撮った頃は、この位置からでもテクノピアの右に(3塔を擁した)ドコモビルが見えていたが、2003年後半にミューザ川崎のセントラルタワー(白色光が強いビル)が出来てその陰に入るようになった。)

なおカメラにお任せの自動露出では、この雰囲気は「暗い」と判断され露光時間が長くなる。そのため空の部分は露出過多になり、美しく彩色した肝心の部分の色が飛んで、モノクロ写真のようになってしまうことが多い。こういう写真を撮る時には、周囲の黒潰れは仕方ないものと覚悟し、マニュアル設定で思い切って露光量を下げる必要がある。

以下お終いまでの4枚 [No.34B]〜[No.34E] は同じ日で、年が替わった2004年。上の3枚を撮った時期から2ヶ月近く経っていて、日暮は17:15頃になっている。日没位置は富士山の南麓まで北上してきていて、夕日は丹沢に隠れるので本当の日没よりやや早い。(丹沢の見え方は [テーマ別表題一覧] から「ズームイン富士」を選択する)
上の3枚 [No.349,350,34A] が富士抜きの方向に撮ったので、同じ要領で富士を入れて撮るのがこの日の主目的。

前の日は春一番が吹いたが、今日は一転して強い北西風になるという予報だった。久し振りに冴えた夕暮れ景観を期待したが、実際には風は殆ど吹かなかった。それでも西の空は澄んで一応の写真にはなった。
[No.34B] は日没から30分位経った後、川下側の逆S字カーブを見通している。この左側にテクノピアがあるが、そこまで入れると手前に左岸の堤防上を通る都道(旧提通り)も入ってしまい、車のヘッドライトが流れて写真にならない。
[No.34C] は [No.34B] から更に10分位経った後で、この頃が一番色鮮やかになる。

[No.34D] は [No.34C] の7分後、川下側右岸ビル群のズーム。中央のツインタワーは右岸堤防上に建つマンション(グランエステ)。左側はミューザ川崎のセントラルタワーを中心に、背後にあるNTTドコモビルとアーベインビオ3号棟(公団)が両側に見えている。夜景のズームで距離感が出ていないが、この左の高層ビル3棟はJR川崎駅の西口近傍(鶴見側)にあり、実際には右岸堤防から1キロメートル以上離れたところになる。
[No.34E] は [No.34D] の4分後、辺りはもう夜という暗さである。いくらか緑掛かったような色調になっているのは、水銀灯のせいではなく、もうこの時刻(日没から50分余り経過)では残照の赤が色褪せてきているためである。
高い建物は下平間のサウザンドタワーと新川崎三井ビル(参考 [25] 参照)、手前は小向の東芝、連続する水銀灯は、([No.34C] や [No.341a] でも点々と見えている)右岸の堤防に沿う川崎市道「多摩沿線道路」の街路灯である。
(この日の写真はもう一枚、川上方向を向いて左岸を撮ったものがあり、トミンタワーの構図が [No.431] と昼・夜の関係になるので、第四部(その3)の方に載せた。[No.432a] は時間的には [No.34D] の5分位前で、 [No.34E] に比べれば未だ幾らか明るい頃。)

[No.43E] のような写真はデジカメでないと撮れないかもしれない。従前のカメラ用の銀塩フィルムは、長くカメラ内に置かれても支障を生じないように、(即ち、微光には感光しないように)、入力光が一定値に達しないとガンマが立上がらない設計になっていると聞いたことがある。デジカメのCCDは銀塩フィルムに比べた場合、ガンマ曲線がリニアに近いという特徴があり、白トビや黒ツブレしやすいといわれる反面、(ガンマが原点から立上がることとも相俟って)暗視能力に優れていることはあまり知られていない。

この写真集のための写真を撮り始めて間もない2002.7に、衝撃の夕焼けに出会い([No.327][No.328])、以後2年近く、夕日や夕景、残照などを集中的に追いかけた時期があった。その後体調を崩したりして、成算も無く冬場の夕暮れに撮影に出る気力を失い、この手の写真は追加できていない。
[No.43F][No.43G] は2008年1月中旬で、夕日を撮りに出たわけではない。珍しくカメラを持ってガス橋方面に出向き、[No.316b] などを撮った日の帰り、偶々出くわしたので久々に夕日を撮った。三脚は持っていなかったので、ダメモトの積もりだったが、富士もなんとか見えてマアマアの出来だった。(この年はこの後、大寒から立春を過ぎるまで継続して寒さが厳しく、1ヶ月半余りも引き篭もることになってしまった。)
場所は古川薬師の前辺りで、足元は区民広場、対岸は小向から戸手。工事中のビルは工事中の戸手スーパー堤防上に建設中のマンション。(カメラの時計が合っていれば、[No.43F] は16:44で、[No.43G] はその6分後になっている。)



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