第三部 多摩川大橋周辺 

    その3 夕日・夕焼け・夕焼け雲 (一章)


このページと次のページで六郷川の日没前後の景観を特集する。この第一章では2002年初夏から秋までに撮影した「夏」を紹介し、次章では2002年12月から2003年12月までの撮影から「冬」を紹介する。


一点の翳りもない快晴の日に、大した夕焼けが期待できないのは、空に焼けるものが無いからである。夕日を反射できるものが無ければ、精々空全体が逆虹色に配色される様を見るだけで終わってしまう。
一方上空に高く白い雲が用意されていても、西の地平線を雲やスモッグが覆っている場合には、夕焼け雲を演出する肝心の「没後の夕陽」の通り道が遮られ、やはり華麗な夕焼け雲を見ることは出来ない。

近年六郷川左岸の河川敷には川岸遊歩道が作られ、レクリエーションに利用するために整備される河川敷の範囲は、堤防の下から川岸遊歩道までということになってきた。多摩川大橋からガス橋の間も遊歩道から護岸までの幅10メートル内外の部分は荒れるにまかせてあり、雑草が繁茂し地面はボコボコで水際に出られる場所はそう何ヶ所も無いというのが実態だった。(秋になって一帯は護岸工事のため、丸坊主に刈られ全面的に立入り禁止となった。)

右の撮影場所はどちらかと言えば大橋よりガス橋に近い、川裏に清掃工場の煙突がそびえる真向かいにあたる下丸子2丁目地先。大気は良く澄んで夕日が沈む辺りの稜線がくっきり見え、雲は殆ど無いという典型的な快晴日の日没風景。
このような綺麗な夕日を見るのは、綺麗な夕焼け雲に巡りあうほど大変ではない。空気が澄んでいて西空に雲が出ていなければ、夕日は大抵綺麗に見える。ただしそのような日は必ずといってよいほど風が強く、スモッグ共々上空の雲も吹き飛ばしてしまうので、日没の後にはほとんど何事も起こらず、あたりは静かに暗くなっていく。

     (参考写真1)      (参考写真2)
(参考写真)はこの日の日没後の写真。(参考写真1)は[No.331]の約10分後、(参考写真2)は帰途に途中で振り返り、多摩川大橋の100メートルほど上手の河原て撮ったもの。


下の地点は矢口橋。多摩川大橋から上流に向かって600メートルほど行った所にある。ここには国土交通省の何かの施設があり、そのため河川敷を横切って川の水を法尻まで引き込んでいる。その水路を跨ぐための河川敷上のコンクリート橋を矢口橋という。 (近隣の犬の散歩者の溜り場になる。橋下の水路にはしばしばコイが群れている。)
矢口橋のところの川っ淵はこの辺りでは随一の見晴らしだが、川上側に高圧線の渡河地点のあるのが唯一の難点。電線の写り込みを嫌うなら、数百メートル進んで高圧線をくぐり、上の [No.331] の撮影場所まで行くことになる。

[No.332]
この日は久々に空気が澄んで、富士山は上半分が見え、夕方太陽の水面での反射はかなりきびしかった。良く晴れて上空に雲が多く、日没前の景色は一見したところでは、夕焼けが綺麗に見えた日の[No.323]に良く似て見え期待が膨らんだ。
夕日が地平線よりやや浮いている時点(水面に照返しがあるうち)までは、地平線に雲があっても光ってしまうためその存在はよく分からない。夕日が下がって雲に没する頃になると、初めて雲の存在が分かるようになり、雲の厚さや濃さなども見えてくる。残念ながらこの日は地平線上の雲はかなりきついものだった。(右端は右岸下沼部にあるNEC玉川ルネッサンスシティビルで、その左に蜃気楼のように見える陰は雲の偶然の形)

     (参考写真3)      (参考写真4)
(参考写真)はこの日の日没後の写真。夕日が雲に消えてから20分ほどして、地平線上の雲に遮られない高さの、上空の方で幾らか夕焼け雲が見られたが、肝心の地平線上は広くブランクとなり感動的なスペクタクルとは程遠い光景で終わった。


ここから下はいずれも多摩川大橋から500〜600メートルほど下流。2001年度の期末駆込み工事で、多摩川大橋側のボートスクールから、多摩川緑地周回道路までの間に岸辺散策路を作った。見晴らしの良いこの近くは護岸までの間を整地してベンチ3つが置かれた。撮影場所はその休息所から50〜100メートル上った辺り。

[No.333]
この日は晴天だが雲が多く、この夕日の赤さから夕焼け雲が大いに期待された。ところが日没後の景観は(参考写真5)のようなものに止まった。

     (参考写真5)      (参考写真6)
(参考写真6)は [No.333] とは違う日のものだが、地平線上に雲が出ている場合の日没の様子をよく示している。大気がさほど澄んでおらず、幾らかスモッギーな日の日没は、えてしてこんな風になっているものである。これでは沈んだ夕陽が内側に入り込んでくるための「地平線上の窓」がないことは一目瞭然だ。上空に雲はあっても内から直接照らされることはなく、雲は外から照らされるだけで、雲の薄い部分から赤い光が抜けてくるが、それはボケて見えるだけであの感動的な夕焼け雲とは全く違うものである。

[No.334]
この日は曇天だったが夕方になって西の方から晴れ間が出てきた。夕日は薄くなった雲から覗くようになり、[No.334] を撮った直後からは太陽が完全に雲の切れ目に出、数分間は眩しくて撮影不能の状態が続いた。
[No.335]
その後夕日が地平線に向かうと、夕日は地平線近傍の雲と渾然一体になり、太陽がどこにあってどこが夕焼け雲なのか分からなくなった。
[No.336]
時間的には夕日はもうとっくに沈んでいる。日が沈んだ辺りの地平線では雲は完全に切れて山が見えているが、その左右にはやや雲があり、上空は分厚い雲で覆われている。このように不自由な状況で限定された間に夕焼け雲が実現し、一寸不気味な光景になった。

[No.337]
これも珍しい夕焼け雲である。一寸見には雨雲に夕日が飛び込み、黒雲を焼いているように見えるがそうではない。
この日は雲は多めだったが、曇天ということではなく概ね晴れて白い雲がみられた。ところが夕暮れ時に、偶々この大きな雲が川の上空にやけに低く浮かぶようになった。この雲は部分的なもので厚さもなく、いわゆる雨雲ではないが、その位置が低過ぎて西に向いた部分だけが白く光り、その他の大半の部分は陰に入るような按配で暗い灰色に見えていた。
或る時間からこの大きな灰色雲の下面がオレンジ色に染まり始めた。オレンジは次第に雲の中に入り込み、やがて雲全体が燃えているような凄い景観になった。(時間順では、左の小画像から [No.337] に進む。) ほとんどあっという間の出来事で、数分後に炎は東(手前)側から引き始め、やがて雲は前より暗い灰色に戻った。


下の2枚は11月の初旬、秋になって初めて撮れた夕焼け雲。初秋の頃は晴天が続いたが、西の地平線が雲に覆われていたり、逆に快晴で雲が無かったりで、夕焼け雲の条件はなかなか整わなかった。11月になると雲が出るようになったが、連日雲の位置は極めて低く、太陽が出ているうちに既に陰に入っているような按配だった。

この日の雲も低く、半信半疑という感じだったが、日没前に地平線辺りの雲が完全に切れ、西空が完璧にクリアの状態になって、「低い雲がなお下から照らされる」ギリギリの条件が出来た。綺麗に染まっていたのは、ほんの数分間だけだった。
見出しの小画像は太陽が1/3位隠れた時点で、フレアが見えるが、この直前まではスミア(縦の白線)が出ていた。
(もちろんファインダーを覗いたりはしないが、CCDが正常に作動する範囲を超えるような強い光はカメラにも好ましくない。スミアが出る時間帯はレンズキャップをして待つべきである。)

[No.338] は小画像から41秒後で、未だ僅かに陽が残っている時点。(この9秒後の写真は陽が完全に没していた。) 太陽に近い位置の雲がオレンジ色に輝いて綺麗だった。
それから2分余り経った頃、染まった雲の範囲(南側)が急に拡がった。遠くのもの(頭上の方)は輝きはなく赤味が強くなった。[No.339] は [No.338] から3分9秒後の写真で、この頃が最盛期。以後は着色部分がまた退いていき、3分後くらいには殆どの雲が黒くなった。
[No.339] ではカメラを少し左に振っているので、右端に富士が写っている。富士山の左側で、稜線が光っているところがほんの少しまえに陽が沈んだ場所である。この時期日没位置は既に、富士山を通り過ぎ南側に移ってきている。撮影場所も、夏に撮っていた位置では、鹿島田のツインタワーなどが邪魔になるため、六郷橋寄りに数百メートル下っている。(南に移動していることになる。)
[No.339] の撮影位置は、[No.322] の位置のやや下手あたりになる。建物は正面が河原町で、左端のマンションは右岸堤防上のグランエステ・川崎ツィンタワー。河川敷が広いため堤防上からでも川面は殆ど見えないが、右下に切れ切れに光っているのが本川で、その左の水平ラインはひょうたん池。手前の河川敷はサッカーグランド。

 (夕焼け雲についての込入った話は [参考23] に


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