第三部 多摩川大橋周辺 

  その2 夕焼け雲の条件


夕焼け雲というのは、赤色光に偏った夕日に照らされて、雲が赤く染まる現象である。夕日が未だ直接見えている時間帯では雲は染まらない。「沈んでしまった夕日」が、地平線の彼方から、地平線スレスレに送ってくる照明が雲を赤く染める。
夕焼け雲が劇的なスペクタクルを展開して見せる条件は、大気が澄んでいること、西の地平線上に夕日の通り抜ける窓が開いていることと、西空から上空に掛けて”焼ける雲”が存在することの3点である。
 (夕焼け雲についての込入った話は [参考23] に

大気中の主要な光線散乱因子は水蒸気だが、その他の塵埃として排気ガスに含まれるススなどの汚れ、土ぼこり(黄砂)や花粉など季節的な散乱因子もある。春から夏に掛けてはスモッギーな日が多い。6月から3ヶ月間夕焼けを追ったが、満足な光景に巡り合えたのは7月下旬の1日だけだった。この日の撮影は「定点観測」にはなっていないので細かな変化までは掴み難いが、この日の経過を振返って夕焼け雲が見られる条件を検証してみよう。

[No.321]
右はこの日の昼過ぎに、多摩川大橋の下手の左岸から川上側を見たところである。六郷川は多摩川大橋の近傍ではほぼ真東に向かって流れているので、この方向は正確に西方を見ていることになる。
2002年は台風のあたり年で、前々日は9号が本州の南方海上を九州に向けて通過し、空は雲が激しく動いた。そして前日は異様なベタ凪ぎだった。([No.313]〜[No.316]) この日は温室に入ったようなムォーとした蒸し暑さではなく、夏らしい雲が出て、太陽がギラギラ燃える暑さとなった。
こんなに陽が高いうちはあくまで参考だが、注目点は西空に靄(もや)がかかっておらず、地平線の上がすっきり抜けて見えること、上空に白い雲が多いことである。

[No.322]
多摩川緑地上手の端、陸上トラックがあるところ。戸手地区越しに富士山が裾の方まで良く見える。この時期台風一過でもないのに富士が見えるのは異例で、西空の方向に雨雲、スモッグ、塵埃など光線を邪魔するものが無い何よりの証拠になる。
ここは川崎側の河川敷にRF電波塔がある対岸にあたる。送信塔の右に2基のクレーンが見えるのは、鹿島田のツインタワー南にこの時期建築中の新しい高層マンション。(サウザンドタワーについては「注釈集」の[参考25]に記載している。)
太陽の位置は雲に遮られて定かではないが、目検討で富士山から30度北に振ると、この場所の夕日は建築中の高層ビルの右側辺りに沈むことになる。 (末尾[注]参照)
空気は澄んでいるが、空はいわゆる快晴の状態ではないことに注目したい。

[No.323]
更に川上に進み多摩川大橋送電鉄橋のアーチが見えるところに来ている。ここは橋から500〜600メートル程川下で、岸辺散策路の休息所がある手前の辺り。
この日の夕日は雲に隠れがちで、日没前の様子は一見して冴(さ)えない。しかし西空から上空まで良く晴れている。雲が黒く見えるのは太陽の陰になっているためで、低い大粒の雨雲ではなく本来は白い雲である。
通常なら大気の澄み具合は、川面に反射する夕日の眩(まぶ)しさで判断が付く。しかしこんな風に太陽が出たり隠れたりという雲の多い日は曲者だ。到底美しい夕陽は拝めないと諦めてしまうと、日没後の壮大なスペクタクルを見損なうことになるかもしれない。

[No.324]
多摩川大橋から150メートルほど下手、ヤマハのボートスクールがある場所の堤防上。
この辺りでは川はやや南北に傾き、遡るように上流方向に向かうと、川は北北西から僅かずつ西側に回っていくので、夏場の夕陽は次第に川から離れ、この位置では夕陽は堤防の川裏側に沈む形になる。
写真は日没直後の真西からやや南寄り一帯の様子。多摩川大橋の左アーチの中央に富士が見えている。上空は晴れて雲が多い。(日没の地点は写真に入りきらない右手側になっている。)
漫然とここまで来てしまったが、ここは日没方向の見晴らしがよくない。進むか戻るか迷った末、橋をくぐって川上側で見通しの良い場所を探すことにした。

[No.325]
多摩川大橋の上手50メートルほど行ったところ。堤防上から川を見ている。
この時点では未だ富士山に気を取られていたが、堤防の反対側(川裏側)が急に明るくなってきて驚いた。(右手が上流側、ここでは日没地点は堤防の先くらいの方向になる。川裏は堤防に沿って都道「旧提道路」が走っている。)

スペクタクルは予想より遥かに北に寄った空で幕を開けた。夏場、計算上では、日没は富士山より30度北側に寄る。理屈は分かってはいたが、慣れない場所に動いたため勘が狂った。
とりあえず下に載せた [No.326] を撮りながら、慌てて堤防から河川敷に降り、雑草を踏み越えて、少しでも見通しのよいことを期待して河原へ急いだ。

[No.326][No.327][No.328]
この日は三脚を持ち合わせていないので、デジカメの最大の武器である”数で勝負”となった。滅多に無い規模の夕焼け雲だったので、たとえ一枚でもいい、ブレていない写真があれば...との思いで、必死に撮りまくったが、幸い何とか掲載できるだけの品位のものが数枚撮れていた。
(掲載した3枚の壮大なスペクタクルの展開は時間的には僅か5分間の出来事である。)
[No.326] 堤防の法面にいて上流方向を向いている。正面に富士を見ていた体勢のままで夕焼け雲の始まりを撮ることになった。既に茜色は見上げる上空まで一気に差し込んできている。赤いスポットは都道を行く自動車のテールランプ。対岸のビルは下平間の新川崎三井ビルと建設中のサウザンドタワー。
[No.327] 河原に下りてコンクリート護岸の上に来ている。スペクタクルの最盛期を撮った中の1枚。(右端の煙突はガス橋方向の堤防裏にある清掃工場で、逆の左端に富士が写っている。) 夕焼け雲を映して川面も赤く焼けている。
[No.328] 暗くなるに応じて夕焼け雲は深紅に近づき凄味を増していくが、茜色は上空からはみるみる退いて、夕焼け雲の範囲は地平線際に限定されていく。(対岸の点列照明は右岸沿いの市道(多摩沿線道路)の街灯である。)

燃えるようなクライマックスが終わった後の、水墨画のような幽玄な景色にも捨て難い魅力があるが、そこまで全体光量が落ちた時点では露出条件が厳しく、さすがにカメラを支えきれなかった。
[No.328] から後の時刻のものはブレが大きく、残念ながら掲載できるような写真は1枚も無いが、この日のシリーズを完結する意味で、堤防上に戻ってきた時のものを、雰囲気として1枚だけ示した。

  (参考写真)    
 



[注] 当地から富士山までの距離は凡そ92〜93キロメートルで、富士山は真西から11.5度(比率 2/10)南にずれた方向にある。地球の地軸の傾きは23.5度だから、太陽が南に寄る冬至は富士山の左12度方向に日が沈み、春分と秋分は逆に富士山の右11.5度方向に日が沈む。夏は太陽が最も北に寄るので、夏至の日の日没は富士山から最大35度右によった位置で起きる。撮影の時期は7月下旬で、計算上では富士山の右27度方向に日が沈むことになる。
(この計算では11月6日頃と2月10日頃に富士山に日が沈むことになるが、実際の日没位置は10月中に早くも富士を通り越し、2月初旬には未だ富士まで戻ってはこなかった。その後2004年の確認で、2月22日〜24日頃、富士山の頂上に夕日が沈むことが分った。尤も太陽は富士山に垂直ではなく斜めに沈むので、標高ゼロメートルの位置で夕日が富士山の中心に来る日はもっと早い。仮にこの分を最大1週間見積ったとしてもなお計算とは1週間のズレがある。どこかで計算違いがあるか誤差の可能性を見落としているのだろう。)



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